心はどこへ消えた?

東畑開人

 

ちょっと長めの序文 心はどこへ消えた?

・心理学辞典には「心」の項目がない。(中略)たった一行だけの短い定義、「体・物の反対」。(中略)心が否定形で定義されているのは深遠な洞察なのでは。

・心は否定の後に表れる。体のせいでもなく、物せいでもお金がないせいでも組織が悪いともいえない、社会だけのせいにも環境だけのせいにもできそうにない時、心を問題にせざるを得なくなる。

・心は物の反対だといえるには、物が「確か」でなくてはならぬ。(中略)物自体は溢れているが、社会が豊かではない。(中略)今、豊かなのは物ではなく、リスク。(中略)「リスクは豊かになったが、心はどうか」が現代のリアル。

 

「思い立ったが吉日」というのは、安定した日常での話。人生の苦境にあっては「思い立ってから一晩ぐっすり寝た後が吉日」。(中略)緊急事態では、未来は手繰り寄せるよりも待つ方がいい。(中略)いったん止まって「様子を見る」。未来を再建するために必要なこと。

・「Encounter(出会い)」の語源は「敵と出くわす」。他者は潜在的に敵でありえて、私達を傷つける可能性を含む。(中略)社交とは、傷つけてくる他者を何とかいなすためのもの。

・多くの場合、現実は超自我よりマイルド。

〇一人で考え込んでいると滅入ってくるということでしょうか。

・雑談も陰口も密談も全部廊下での出来事。(中略)人間らしいことは大体廊下で起こっていた。

〇コロナ禍では廊下が作りづらいです。

 

・「見られる」は、見張られていることでもあり、見守られていることでもある。

「若年就業者の組織適応」。新入社員の「モニター・ストレス」に通じます。

・「見てくれている」が貴重。幼い頃には簡単に手に入ったが、大人はめったに手に入れられない。人をほめるのが難しいのは言葉のテクニックの問題ではなく、「よく見る」のが難しいから。他者の良いところを偶然発見し、率直に伝える時間は幸福な瞬間。

〇 「ごめんなさいとありがとうはタダや。なんぼでもいうとけ」という西原理恵子さんの言葉が本質をついている気がします。

・摩擦とは、二人が一緒にいられるように、互いの形を研磨すること。

・物語るとは、傷を柔らかい皮膚で包み込んでいく営み。本質的に傷跡。

〇辛い話も、時間が経つことで話せるようになるのは、正に。午前3時の腕立て伏せ(苦笑)。

 

・忙しい時、心は亡くなるのではなく、見失われるだけ。

・言葉とは自己と他者の二つの心を行き交うことで育つもの。

・ソネミもネタミも「嫉妬」を意味する言葉。(中略)ソネミは相手に良いものがあることを認めているが、ネタミはそれを否認する。

・誰かの人格を変えたければ、優しくしてあげるほかない。(中略)危険にさらされて怯えている時ではなく、安全だと感じられている時にしか、人は変われない。

〇保護犬の話を思い出します。

・身の回りで仮病を使っている人を見かけたら、その演技に乗ってあげるべき。(中略)仮病を癒やすのは仮治療。

 

・脳とは他者。身体的には脳は「私」の一部分だが、あくまで物質であるから「非私」でもある。「私」だけでは抱えきれない心は「非私」に置かせてもらうと助かる。もし信頼できる人がいるならば、しばし相手の心に置いておくと、心に時間が流れ始め、疲れが傷つきへと解凍される。

・「上の目」は監視するためではなく、保護するためにある。規制するためではなく、育てるためにある。(中略)「上の目」は大人の仕事。面倒で感謝されないことも多いが、いつか若い人が心の中に「上の目」を持てるようになるために、大人は一時的に「上の目」を引き受ける。

〇子育て。特に、思春期には必要なこと。子離れをするためにも。

 

また、春

・私の心に「相手」の心を置き、それから「相手」に戻す。一旦預かるのが大切。次は自分で自分の心を振り返られるようになるかもしれない。心に心を置いておけるようになるかもしれない。この繰り返しが対話の本質。

〇ビジネス界隈だと、例えば「1 on 1」の基本だと思います。相手を慮る気持ち。メンターが受け止めてこそ。

 

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