【株式会社スガヌマ】古木孝典さん
板橋区の起業家インタビュー、第28回目は「株式会社ルケオ」の吉村さんからのご紹介で「株式会社スガヌマ」代表取締役の古木孝典さんにお話を伺いました。
今回のインタビューでは、「ご縁」というものを強く感じざるを得ないエピソードがたくさんありました。人って、ご縁でつながり、ご縁に助けられているんだなあ、という、ほんわかしたインタビュー時間でした。
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-家業を継いだ経緯を教えてください。
古木さん:私は3代目です。初代の菅沼次夫さんは、私の父の育ての親でした。父は中学生の頃から次夫さんと一緒に働いていました。夜間高校卒業後、次夫さんと父が有限会社を一緒に立ち上げたそうです。父は専務という立場でした。父から聞いている次夫さんは職人気質な人で、銀行や税務署が苦手で、そういう事務仕事は父にすべて任せていました。父は物作りは苦手で不器用だから、現場に入らずに営業として会社を大きくすることに注力したそうです。
古木さん:高校卒業後、マスコミ系の専門学校に進みましたが、あまり力も入れずフラフラしていました。そんな私を見かねてか、1994年、21歳の時に先代の父から入社を勧められました。私は3人兄弟の末っ子なんです。いずれ、7つ年上の長男が継ぐのだとなんとなく思っていたし、自分は社長になるなんてみじんも思わず、一作業員として会社で頑張ろういう覚悟で入社しました。
古木さん:2000年代初頭にITバブルがはじけ、会社が大変な頃、父、そして番頭格の社員が病気を患い、相次いで入院してしまいました。その当時、大手自動車メーカのディーラーに勤めていた長男が2001年に入社。専務として会社を切り盛りし始めました。長男の努力もあり、ようやく会社の業績が浮上してきた2005年に、長男が急逝してしまいました。38歳という若さでした。
ーお兄さん、無念だったでしょうね。その時、古木さんはどうされたんですか。
古木さん:私は勤務していた川越工場から「営業」として東京に戻りました。
ーお兄さんを引き継ぐ形だったんですね。
古木さん:営業で頑張って1年過ぎた頃、社長をやらないか、と父に打診されました。ですが、最初の打診では断ったんです。経営のことなど何もわからず、長男がいない以上、いつかはやらなければとは思っていたのですが、まだ早いという思いがありました。ただ、ちょうど世代交代を図ろうとしていた矢先のことだったので、周囲の準備が整っていたという状況もありました。社員からも、長男の代わりは私しかいない、という雰囲気も感じました。1、2ヶ月考えた末、「どうせ継ぐのであれば若いうちの方がいいし、もし失敗しても許されるのでは」と思い直しました。周囲に「支えてください」とお願いをし、社長として経営を引き継ぐことを決意。2007年、34才の時でした。先代も取締役会長として見守ってくれていました。
古木さん:社長就任当初、板橋区が主催する「板橋若手経営者の会」という勉強会に2年ほど、月1で参加しました。偶然ですが、林さんが板橋区起業家インタビューで取材していた三興塗料株式会社の清水さんとご一緒していたんですよ。
ーそうなんですね。清水さんはとても勉強熱心な方ですよね。
古木さん:清水さんをはじめ、皆勉強熱心だったと思います。そんな中、自分が何も知らない、ということに愕然としました。例えば、他の参加者は当然ながら自分の会社のことをよく知っているわけですが、私といえば自社のことが皆に上手に説明ができないんです。精密板金加工のことをわかりやすく説明することができないことにショックを受けました。その時、自分にスイッチが入ったことを今でもよく覚えています。ここで恥をかいたことは今の自分の糧になっています。
古木さん:経営者の会が終了し、さらに学ぶ機会を与えてもらえたことも大きかったです。「日本工業大学専門職大学院」に入学しました。
ー続けて学ぶ機会を得たんですね。
古木さん:いや、実は、ちょっと違いまして(笑)。大学院を紹介してくれたのは、先代の知人の経営者なのですが、その方は「息子さんに勧めては」と言ってくれたそうなんですが、先代が先に入学したんです。当時69才でした。
ーそれは、すごい!
古木さん:自身の経営の答え合わせをしたかった、と言っていましたね。ここでも面白い縁があって、インタビューされていたサイトウ製作所の齋藤さんが父と同期なんです。「よく先生とけんかしてたよ」と笑いながら話してくれました。それはともかく、先代が1年間学んだのなら、自分も入学せざるを得ないですよね。先代が創業した翌年の2009年、36才で入学しました。大学院は通常は1年で修了なのですが、リーマンショックの影響もあり、仕事との兼ね合いを調整しながら2年かけて卒業しました。経営を体系的に学ぶことができ、とても良い経験でした。
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ー創業64年、三代目として意識してきたことを教えてください。
古木さん:「古いこと」は良いこともあれば悪いこともありますが、父が残した大きな流れは強みだと思っています。良いところを伸ばしていけば、悪いところも目立たなくなります。とはいえ、時代にそぐわないものは変えていく必要があります。
古木さん:父とは経営のやり方は全く違います。父は自己流でした。経営を学んだ上で過去の経営を見直すと、もったいないな、という間違った選択もいくつかあったかもしれません。自分だったらこうしたな、と考えることもあります。父はチャレンジャー、誤解を恐れずに言えばギャンブラー。今の変化が速い時代には、重大な失敗はバッド。辛いです。ベストがもちろん良いですが、ベターを慎重に考えるところが父とは違うところです。そして、数字をしっかり追うことを意識しています。
古木さん:社長就任から5年目に、先代が作った「行動指針」「経営理念」を変えました。一番意識したのは、「モノ作りは楽しいよ」、ということを従業員に感じ続けてもらえればと思っています。
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-育成についてのお考えを教えてください。
古木さん:OJTはもちろん、良いなと思うセミナーがあったら紹介したりということはしています。ですが、人は失敗しないと覚えないという思いもあります。失敗も含めて経験させることが大事です。
古木さん:年2回、社員、パートさんも含めて個人面談をしています。社長の仕事は環境を整えること、風通しをよくすることだと思っています。しっかりと話を聞くことを心掛けています。とはいっても、できることとできないことがあります。もし、できなくても、その理由を丁寧に説明するようにしています。そうしないと不満はそこにたまりますから。
古木さん:人のモチベーションを上げるのは難しい。ですが、下げるのは簡単です。下がらないように努力をする。感情の振り幅をできるだけ小さく一定にできるような環境作りが大切です。
古木さん:会社として、皆が同じ方向を向けるように意識してきました。もしかしたら、昔は社長である自分と違う方向を見ていた人もいたかもしれませんが、同じ方向を見始められていると感じています。正直、人は簡単に変わりませんし、一度言ったからといって自分と同じ理解ができるとも思いません。そんなものだな、と思いながら、少しづつ、何度も目指す方向はあっちだよ、と伝えてきました。自分が遠くを指さしても、皆と見ている距離は違うかもしれません。ですが、同じ方向を見始められている。そうであれば、同じゴールに同じ時間で到達しなくてもよいと思っています。多様性、ペースは人それぞれです。
古木さん:自分の仕事は簡単(シンプル)なんです。道案内が自分の仕事。皆のしたいことをできる限りやってあげること。そのために、納得するまで対話することを心掛けています。
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-古木さんが思う自律型人材とはどんな人でしょうか。
古木さん:行動指針に「私たちは、豊かな人生を創造するため、明るく・楽しく・自主的に働きます」と謳っています。何のために働くのか。楽しく仕事をしたい。言われたことだけをやるのではなく、自分で積極的に関わっていくと楽しいですよね。
古木さん:ただ、人にもよります。多様性。ペースが違うなら、補える人が補えばよいと思います。その人なりの自律でよいのだと。いかに人生を良いものにしていくか。楽(ラク)ではなく、楽しく仕事ができれば良いですね。
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対話型OJTを献本させていただきました。
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インタビュアーの林(ラーンフォレスト合同会社 代表社員)は、上記の「対話型OJT」をもとにした、新人の適応を促す「上手な仕事の教え方」を研修にてお伝えしています。
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-最後に、これから起業を目指す若者にメッセージをお願いします。
古木さん:「好い(いい)加減」「ボンヤリ」も時には良いです。そもそも日本人は真面目すぎますから。数字は見る、と言いましたが、絶対の目標にしなくてもいい。ですが、数字を見ていると頑張りだったり、その人の真面目さも見えてきます。数字はいろんな要素が絡んでいるので色々な角度から見ることを忘れないでください。
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「未だに経営者だとは思っていない。難しい」と向上心を持ち続ける古木さん。お客さま、従業員の喜びの道案内人としての優しいまなざしを感じました。
古木さん、どうもありがとうございました!
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