【株式会社ルケオ】吉村健太郎さん

板橋区の起業家インタビュー、第24回目は「平岩石油販売株式会社」の平岩さんからのご紹介で「株式会社ルケオ」代表取締役社長の吉村健太郎さんにお話を伺いました。

前回のインタビュー、「株式会社サイトウ製作所」の齋藤さんを平岩さんからご紹介いただくに当たり、板橋区の名店「オオタニ」さんでの会食をセッティングしていただいたのですが、このお店から歩いて数分のところに「株式会社ルケオ」本社があるということで、一緒にどうですか、と平岩さんがお誘いしてくれたそうです。目標の30名まで、どんどん加速していきます。

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-家業を継いだ経緯を教えてください。

吉村さん:私の祖父がルケオの前身の「明照光器」を1966年に創業したのですが、その10年後に私が生まれました。祖父の後を継いだのが父。ですが、小学校時代、父が社長だということは知りませんでした。小さい頃から、工場が稼働していない日に工場に遊びに連れて行ってもらいましたが、「ここで仕事してるんだな」というくらいの感覚です。工場だということは見れば分かったのですが、何を作っているのかも知りませんでした。小さいから、説明しても分からないというのもあったでしょうね。

吉村さん:中学の頃に、家業について何となくは分かってきましたが、学校の友達で周囲にいる他の社長の息子と比べると、うちの父は普通だなって。その社長の息子の家に遊びに行くと、「おお~、よく来たね。アッハッハ!」と、ああ、社長っぽいなって(笑)。父からは会社の役員をやっている、としか聞いていなかったように思います。他社の社長や地主とは雰囲気が全く違う感じでした。

吉村さん:高校入学の書類を用意している際、本当に社長なんだということが分かりましたが、さほど興味はわきませんでした。

-陸上をずっとやっていたんですね。

吉村さん:はい。400メートルの選手として、高校、大学とは推薦で入学しました。就職活動では、体力勝負の営業職や警察官、自衛隊や消防官に好まれるんです(笑)。父には、中小企業の社長は大変だから継がなくてよい、と言われていました。

吉村さん:1998年に、大手の自動車販売店に就職しました。学生の頃から車好きだったので、車のチューニングや、その車で筑波や富士に走りに行ったりしていたので、車関係に就職したいという希望は叶いました。ですが、当時はその会社の業績が思わしくなく、このままこの会社にいて大丈夫なのか、と考えていたんです。そんな時、父と相談の上、その気があるなら、修行をしたうえで入れと言ってくれたんです。

吉村さん:先ほども言いましたが、父は中小企業の社長は大変だからと、私に継がせる気はなかったので、いわゆる帝王学、中小企業の社長の心構えを伝えてこなかったそうです。だから、入るのなら他の中小企業で修業してこい、という思いで、とある文房具メーカーを紹介してくれました。

吉村さん:文房具メーカーでは最初の2年間、営業を担当。当時、業界の環境対応と商流がターニングポイントを迎えていた頃だったのですが、メーカー側と工場側の間に立ち、かなり大変な思いをしました。設備投資の問題やコストの問題など様々な難問があったのですが、何とか調整をし、最終的にはうまく行ったことはとても嬉しかったです。ただ、うまく行ったのは決して自分一人の力ではなく、周囲の人の力があったからこそだと思っています。

吉村さん:その後、1年半は総務兼カバン持ちをやらせていただきました。社長には様々なことを教えていただきました。中でも、中小企業を経営する上での心構えを教えていただいたことは、今も胸に刻み込んでいます。

吉村さん:その後、あるテーマパークに準社員として入社し、2年間おせわになりました。工場部門で商品管理や在庫管理。最新の設備ゆえの初期トラブルには悩まされました。トライ&エラーの繰り返しで大変でしたが、良い経験だったと思います。

-約6年ほど、修行をされたんですね。

吉村さん:最初の自動車販売店ではB to C。次の文房具メーカーではB to B。B to Cで培ったもの、御用聞きのような営業が、B to Bでは可愛がられたように思います。成績も上がり、楽しい経験です。B to BとB to Cの使い分けが良かったのでしょうね。それと、テーマパークの在庫管理。ルケオに入社し、それらの経験が全てが役に立っています。

-2004年にルケオに入社されたんですね。社員の方達はいかがでしたか。

吉村さん:「社長の息子が来た」という感じでした。お手並み拝見という気持ちだったのでしょうか。正直寂しかったですね。

―それから9年間の時を経て、2013年に社長に就任成されたんですね。

吉村さん:はい。共同代表という形です。父が代表取締役会長、私が代表取締役社長です。社長になって、ルケオの課題を洗い出し、議論の俎上に載せました。周りの役員はあまり乗り気ではなかったかもしれません。それでも、社長の強権を使って動いていましたが、陰口を言われていたとしてもおかしくありません。誤解を恐れずに言えば、当時は「俺の言うことを聞け」という人や、そうでなければ他人事としか捉えていない人もいました。正直少しメンタルにきて、辛い時期もありました。

吉村さん:ある人の勧めでその間に心理学などを学び、また周囲の人の支えもあり、復活しました。その時思ったことは、「肩肘張らなくても会社回るじゃん」と。それでかなり楽になりました。それまでは、社長だから何でも知らなくちゃ、と知ったかぶりをしようとしていたんです。自分は文系だが、周囲の人はバリバリの理系。そこに知識で武装しようとし、タメを張ろうとしていました。復帰後は、知らないことは知らないよ、と教えてもらうスタイルに寄っていきました。頼ったら気楽になり、周囲も教えてくれるようになりました。

-肩の力が抜けたんですね。

吉村さん:17年に会長が代表を退きました。15年くらいから会長と同じ部屋にデスクを並べていたのですが、この時に「帝王学」を学べたのだなと。「一人で大丈夫だな」と思ってもらえたのだと思います。

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-育成についてのお考えを教えてください。

吉村さん:ある研修会社で、次世代リーダークラスの方達に月1回の研修を実施してもらっているのですが、その研修を次の世代にも受けてもらい始めています。他に、商工会のセミナーなどの情報から選択して、良いものがあれば社員に勧めたり、自分の都合がつけば、「一緒に行こうよ」と声掛けして参加することもあります。一緒に受けることで共通言語ができ、また一緒に振り返りをすることで、別視点からの気付きを得られるのが良いですね。

吉村さん:社員が研修でメキメキ成長してくれています。研修の効果を感じています。

-研修後の研修転移には、マネジャーや上位者の協力が必要だと言われていますが、会社のトップがそう言ってくれると、社員の方もより学ぼうという気になるでしょうね。正に「近転移」が起こっていると思います。

吉村さん:社員の皆には、もちろんずっとルケオにいてほしいのですが、仮に転職することがあったとしても、他社に行った時、「ルケオにいて良かったな、学んだことは生きているな」と言ってもらえたら嬉しいですね。

-学び続ける社員の中から、次の後継者が生まれてくるのかもしれませんね。

吉村さん:そうですね。究極を言えば、自分がいなくても回る会社になれば良いと思っています。社員から次の社長が出てくれたらと思っています。

-先日の「オオタニ」さんでの会食の際、コミュニケーションや学びは永遠の課題、とおっしゃった吉村さんの言葉が印象的でした。

吉村さん:教育は大事。もちろん技術伝承や改善もそうです。永遠の課題、と言ったのは、行動し続けないといけないということ。学び続けないと。中学の体育館に書いてあった言葉が今も忘れられません。「自ら考え、進んで行動する生徒」。社員の皆に、会社のことを自分ごとにしてほしいと思っています。問題点や課題点を自ら考えて行動してほしいですね。

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-吉村さんが思う自律型人材とはどんな人でしょうか。

吉村さん:自分ごととして動く人です。そして、皆で協力しながら進んでいける人。また、私からこう思う、という意見や考えを言ってくれる人です。そういう意味では、報連相というのは、自律に繋がっていると思いますので、まず最初はそこから始めることも大事です。

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対話型OJTを献本させていただきました。

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インタビュアーの林(ラーンフォレスト合同会社 代表社員)は、上記の「対話型OJT」をもとにした、新人の適応を促す「上手な仕事の教え方」を研修にてお伝えしています。

【OJTメンター研修・指導員研修】 

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-最後に、これから起業を目指す若者にメッセージをお願いします。

吉村さん:相手を尊重して熱意と創意と誠意を持って志高く、ぶれない軸を持ち覚悟と責任感があれば誰でも起業できると思います。あと、感謝ができ素直で愛嬌があり向上心と好奇心があれば素敵な人になれると信じています。これらは私が自分に言い聞かせ、常に意識してブラッシュアップしていきたいと思っていることです。

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教える際に気にかけていることは、「嘘をつかない」「調子に乗らない」ことだと微笑む吉村さん。そこには教育に対する真摯な姿勢があふれていました。

吉村さん、どうもありがとうございました!

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