居るのはつらいよ

東畑開人

〇役者だったころ、ショーケンさん主役のドラマにチョイ役で呼ばれました。スタジオの廊下のソファーで待っていると、大きなケーキが運ばれてきて、その日は主役の誕生日でお祝いが始まりました。スタジオの中は大騒ぎ。一人、廊下のソファーで待つこと3時間。あの時ほど居るのがつらかった時はなく、確かに「壁紙のシミを数えたり」、「1から1,000まで数えて、また繰り返したり」ということをしていました。今思い出しても永遠のよう。そして、寂しかった・・・(苦笑)。

 

第1章 ケアとセラピー ウサギ穴に落っこちる

 

第2章 「いる」と「する」 とりあえず座っといてくれ

・デイケアで過ごす自由時間は、何かを「する」のではなく、「いる」時間。何も起こらなくて、動きのない静かな時間。(中略)何か「する」ことがあると、「いる」が可能になる。

・密室で話をするのではなく、みんながいる前で世間話をする。深い話ではなく、浅い話をする。そうしていると少しずつ人間関係ができてくる。時間が大事。

 

第3章 心と体 「こらだ」に触る

・精神科医の中井久夫。「心と体を分けておくのは、それが便利だからという理由にしか過ぎない」。(中略)分けることは分かることというが、分割して統治せよというように、分けておくと上手くコントロールできる。

・調子が悪くなって「おかしな」状態になる時、心と体の境界線は焼け落ちる。その時、身体は「こらだ」になってしまう。(中略)「こらだ」が現れる時、自分で自分をコントロールできなくなってしまう。

 

第4章 専門家と素人 博士の異常な送迎

・精神分析家のウィニコット曰く、「ことが上手く運んだ時には幼児は何が適切に供給され何が妨げとなったかを知る手立てを持たないということは、多様な抱っこという母親による育児の問題を考える時、一つの眼目になる。幼児が知るのは事が上手く運ばなかった時である」。

〇これが、親の一番の役目。辛いと思わせないこと。感謝の言葉は、今言われなくてもしょうがない、と観念・・・(苦笑)。

 

第5章 円と線 暇と退屈未満のデイケア

・「空虚放置」とは単に物がないということではなく、物が私たちになにも提供してくれないこと。(中略)退屈とは空虚の中に放置されること。

 

第6章 シロクマとクジラ 恋に弱い男

・民俗学でいう「ハレ」と「ケ」。終わることなく繰り返される「日常=ケ」は徐々に枯れていって「ケガレ」に。ケガレは暴走し、デイケアの日常を脅かす。だから時々ハレの時間を挿入することで、枯れたものを生き返らせる。

〇OJTで言うところの、「現場はケ」、「OJTメンター研修はハレ」。マスク(仮面)を外し、きれいにしてから現場に戻る。

 

第7章 治療者と患者 金曜日は内輪ネタで笑う

・社会心理学者のリースマンによる「援助者療法原理 Helper Therapy Principle」という理論。誰かを助けることが、自分の助けになるということ。

・全部自分でやろうとしないで、人にやってもらう。互いにそうしていると「いる」が可能に。「いる」とはお世話をしてもらうことに慣れること。

・傷つきと癒しは分離したものではなく、表裏のように固く結びついたもの。治療者と患者双方で生じている心の動きの混合物のことを「傷ついた治療者」と呼ぶ。

・嫌いな人のことを考えると、自分の嫌な部分を体現してることも。自分の中のものを他者に見出すのが「投影」。

・「ケアする/される」という「能動態/受動態」で語られたことは、「中動態」で語られるべき。

中動態の世界

 

第8章 人と構造 二人の辞め方

 

幕間口上、ふたたび ケアとセラピーについての覚書

・ケアが依存を原理としているなら、セラピーは自律を原理としている。ケアでは変化するのは「環境」、セラピーでは「個人」が変化することが目指される。

 

最終章 アジールとアサイラム

〇アジールは「避難所」、アサイラムは「収容所・刑務所のイメージだそう。

・アジールとアサイラムでは同じことが行われているが、一方は「いる」を支え、他方は「いる」を強いる。アジールは罪人が逃げ込み庇護される場所で、アサイラムはその罪人を閉じ込めて管理しておく場所。

・セラピーにはお金がつきやすく、ケアにはお金がつきにくい。「会計の声」が持ち込む市場のロジックは、セラピーに好意的で、ケアの分は圧倒的に悪い。

・会計はアジールを殺す。その光は、アジールの薄暗さを隈なく照らして、アサイラムにしてしまう。逃げ込んだ罪人を庇護するアジールに、効率性とエビデンスが求められる時、そこは罪人を画一的に管理するアサイラムに変わる。

〇お金を稼ぎ、どのように使うか。考えさせられます。

 

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