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なぜ世界は存在しないのか

マルクス・ガブリエル

 

 これはそもそも何なのか、この世界とは?

・世界とは、すべての領域の領域、すべての対象領域を包摂する対象領域である、と(これと違って宇宙は、自然科学の対象領域しか包摂していません)。また、さまざまな対象領域が数多く存在していること、さまざまな対象領域のなかには排除しあうものもあれば、さまざまな仕方で包摂しあうものもあることもわかっています。

・世界とは、物の総体でも事実の総体でもなく、存在するすべての領域がそのなかに現れてくる領域のことです。存在するすべての領域は、世界に含まれている。マルティン・ハイデガーが適切に定式化したように、世界とは「すべての領域の領域」にほかなりません。

 

Ⅱ 存在するとはどのようなことか

・1 およそ存在するいっさいの性質を備えた対象は、存在しうるのか。2 どの対象も、他のすべての対象から区別されるのか。この二つの問いに対する、わたしの答えは「否」です。ここから導き出されることになるのが、世界は存在しないという結論です。

・存在するとはどのようなことか。(中略)たったひとつの世界なるものなど存在せず、むしろ無限に数多くのもろもろの世界だけが存在している。そして、それらもろもろの世界は、いかなる観点でも部分的には互いに独立しているし、また部分的には重なりあうこともある、と。

・存在すること=何らかの意味の場のなかに現れること

 

Ⅲ なぜ世界は存在しないのか

・世界とは、すべての意味の場の意味の場、それ以外のいっさいの意味の場がそのなかに現象してくる意味の場である。

○哲学って、仏教の概念にも通じるところがあるような気がします。

Ⅳ 自然科学の世界像

・アメリカの発見とは、推測されていた以上のものが存在しているという事実の発見でした。

・今日でもブラジルに存在している土着の共同体の相当に多くのものは、科学的世界像よりも存在論的にずっと進んでいます。というのも、それらの共同体では、まさに観る者のいない宇宙に自らが存在しているなどと想定されることはなく、むしろ観る者として自らが存在しているのはなぜなのか、それが意味するのはいったい何なのかということが問われ、考えられているからです。そのためヴィヴェイロス・デ・カストロは、そのような共同体を人類学者ないし民俗学者とも見なしています。

○保苅実さんのものの見方に似ているかも。

ラディカル・オーラル・ヒストリー

・人間の認識や科学・学問のほとんどすべての領域で、構築主義が猛威をふるっています。「世界像」という概念に出くわしたら、いつでも構築主義の流域にいると考えて間違いありません。

・ハイデガーが指摘している最も簡単な理由は、そもそも世界が表象の対象ではないことにあります。わたしたちには、世界を外から眺めることができませんし、したがって、わたしたちの作った世界像が妥当なものかどうかを問うこともできません。

 

Ⅴ 宗教の意味

・宗教の源となるのは、いかにしてこの世界に意味が存在しうるのかーそれも、わたしたちが好き勝手に捏造することなく理解できる意味が存在しうるのかーを理解したい、という欲求です。こう考えてみれば、宗教とは意味の探求の一形態であると言って間違いありません。

・宗教は、まず最大限の距たりの立場をとってから人間へと回帰してきます。人間は、神に取り組むことによって、精神の歴史という冒険に乗り出したのでした。

 

Ⅵ 芸術の意味

・芸術の意味は、通常であれば自明にすぎない物ごとを、注目するほかない奇妙な光のもとに置くことにあります。(中略)つまり芸術は、新たな意味でわたしたちを驚かせ、日常とは違った角度から対象を照らしてくれるわけです。

・先入観とは、硬直した意味の場に他なりません。芸術やユーモアによって、わたしたちは、そのような硬直した意味の場の背景を問い、考えることができるのです。

・古代ローマ人によって導入された「存在(エクシステンツ)」の語源となる言葉が、じっさい「歩み出る」という意味であるのは、じつに意味深いことです。存在するいっさいのものは、何らかの背景の前に歩み出ているというわけです。

○背景に意識がいくと、それはもう背景ではなく、前景であると。どこに焦点を置くか。

 

Ⅶ エンドロール

・人生の意味とは、生きるということにほかなりません。つまり、尽きることのない意味にとり組み続けるということです。幸いなことに、尽きることのない意味に参与することが、わたしたちには許されています。

・人間は、この現実の基本構造にたいする自らの考えに関しても、つねに変化し続けるからです。

 

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