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比較 中学歴史教科書 国際派日本人を育てる

伊勢雅臣

 

まえがき 

・縄文人は世界に先立って定住生活を始めたのである。そして定住生活の中で調理や保存のための土器を作り出し、それによって食材の種類を増やし、さらに豊かな食生活を築いていった。

○狩猟採集生活と農耕を両立させていた!

・土地への負荷が大きい畑作・牧畜を数千年続けてきたチグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河などの流域はみな砂漠化してしまったが、縄文人たちは一万年以上も豊かな自然と共生してきた。

 

序章 歴史教育の目標

・どこの国の国民でも、自国の「歴史に対する愛情」、歴史上の人物や文化遺産を「尊重する態度」は「国民としての自覚」の基盤である。そして、それがまえがきでも述べたように、自らの「根っこ」として、異文化理解、異文化コミュニケーションを支えてくれるのである。

○己を知り、他者を知る。

 

第一章 独立国家・独立文明の建設

・現代用語で言えば、「渡来人」という平和的なイメージよりは、「戦争難民」と言った方が実態に近いだろう。そして弥生時代の特徴として、水田耕作とともに挙げられるのが、武器と環濠である。

・大陸から半島を経由して平和な列島にやってきたのは、戦乱を逃れてきた「武装難民」たちであった。人を殺すための武器を持ち、自分たちを守るために住居を環濠で取り囲んだのである。それまで平和な暮らしをしていた縄文人たちは、荒々しい武装難民の一団をどのような気持ちで迎えたのだろうか。

・建国記念日が神話にまで遡ってしまう事自体が、世界でも類のないわが国の特徴なのである。

・東アジアの多くの国々は中国の冊封体制に甘んじたが、わが国のみが中国と対等な独立国家であることを宣言したのが、太子の手紙であった。以後、これがわが国の対中外交の基本的な立場となる。

○聖徳太子の気概が感じられる箇所です。

 

第二章 大御宝のための国づくり

・家康は農民保護についても「郷村法令」を出した。しかも、それは家康が征夷大将軍に任ぜられた慶長八(一六○三)二月の翌月、最初の法令として出されたものだった。(中略)戦国時代は農民も野盗からの自衛のために、あるいは村同士の争いのために武器をとって戦っていたが、秀吉は「刀狩り」と「兵農分離」により百姓が武器を持たなくとも暮らせる社会を目指した。それをさらに徹底して、平和な農村社会を実現しようとしたのが「郷村法令」だった。特に、領主や幕府代官の不正を防ぐために、農民に訴えや逃散、あるいは裁判の権利を認めていたのは、現代中国の農村よりもはるかに近代的である。

・すべて文書主義できちんと管理するためには、名主のみならず百姓たちも読み書き算盤ができなければならない。江戸時代の百姓の教育レベルは、それだけ高かったのである。

○識字率が高い国は栄える。やはり教育は大事ですね。

 

第三章 植民地主義との戦い

・孝明天皇は、アメリカ船に水や燃料を提供するという和親条約は人道的な措置であり、神国日本を汚すことにはならない」と考えていた。しかし「通商条約は表面上は友好をうたっているが、じつはわが国を侵略しようとするものなので、誰が何と言おうと許しがたい」と書簡に書いている。

・インド、インドネシア、フィリピンは十八世紀以前から植民地に転落し、十九世紀に入ってからも列強による中国、インドシナの蚕食が続いていた。幕末以降の日本が国をあげての富国強兵に取り組んだのも「欧州列強の植民地にされるという根強い危機感」からだった。

・明治大正期には多くの日本人がアジア各国の独立運動を支援している。(中略)欧米列強からの独立運動に対して、アジアを救おうという活動は日本の朝野で盛んに行われてきた。

 

第四章 共産主義との戦い

・イギリスの歴史家A・トインビー(1889~1975)は、(中略)「アジア・アフリカを支配してきた西洋の帝国主義者たちが、過去200年間そう思われてきたような無的の存在ではないことを、日本人は他の人種の人々に証明した。われわれ欧米人はみな、日本人によって、次々とたおされたのである」

 

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