私とは何か 「個人」から「分人」へ

私とは何か 

平野啓一郎

 

まえがき

・たった一つの「本当の自分」など存在しない。対人関係ごとに見せる複数の顔がすべて「本当の自分」。

・一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。

第1章 「本当の自分」はどこにあるか

・(高校時代と大学時代それぞれ演じていたのではなく)その環境の中にいるうちに自然にそういう自分に。新しい自分に順応しようと意識的な部分もあるがすべてを都度コントロールし尽くすことなどできるはずもない。

第2章 分人とは何か

・分人は、一人一人の人間が独自の構成比率で抱えている。そのスイッチングは相手次第でオートマチックになされている。

・社会的な分人(ステップ1)。不特定多数に人とのコミュニケーション可能な汎用性の高い分人。(中略)浅いが、これがなければコミュニケーションが次の段階に深まることが難しく。

・グループ向けの分人(ステップ2)。社会的文人がより狭いカテゴリーに限定されたもの。

・特定の相手に向けた分人(ステップ3)。社会的な分人とグループ向けの分人を経て最終的に生まれるもの。全ての関係がこの段階まで至るわけではない。

・八方美人とは、分人化の巧みな人ではなく、誰に対しても同じ調子のいい態度で通じると高を括って、相手ごとに分人化しようとしない人。

・分人化は相手との相互作用の中で自然に生じる現象。虫の好かない人といると「イヤな自分」になってしまうことも。八方ブスにもなり得る。

・人との出会いが人生を変えるということは、自分が抱えている分人の中で、どういう分人が最も大きくなるかということ。

・自分が知り得るのは、相手の自分向けの分人だけ。それが現れる時、相手の他の分人は隠れてしまう。

・一人でいる時にはいつも同じ首尾一貫した自分が考えごとをしているのではなく、様々な分人を入れ替わり立ち替わり生きながら考えごとをしている。

自己の心理学を学ぶ人のためにの中の「I(アイ)ポジション」の考え方に近いかもしれません。

第3章 自分と他者を見つめ直す

・「自分」は分人の集合体として存在。全て他者との出会いの産物でありコミュニケーションの結果。(中略)ポジティブな分人もあればネガティブな分人も。

・ネガティブな分人は、半分は相手のせい。ポジティブな分人も、他者のお陰。

・自分探しの旅を分人主義的に言い換えると、新しい環境、旅を通じて新しい分人をつくることを目的に。

第4章 愛すること・死ぬこと

・愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることと同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになること。

・「自分向けの分人」以外の分人を全く抱えていない人間は、付き合っていて息苦しいのでは。構成比率の問題。

○「俺は俺」を押し付け荒れると確かに・・・。

第5章 分断を越えて

・大好きな人間の中にも、大嫌いな人間の何かしらが紛れ込んでいるということに、新しい歩み寄りの可能性があるのでは。

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