ファシリテーションとは何か
ファシリテーションとは何か
井上義和・牧野智和 編著
はじめに
・自然な ー 腹を割った、心の壁を取り払った ー コミュニケーションに委ねれば自ずと上手く行くはずという幻想の挫折の痛みと共に、ファシリテーションは召喚された。
02 様々な分野へのファシリテーションの展開
・2003年が「日本のファシリテーション元年」といわれることに。
・最初のアイスブレイクが、「ではみなさん、今からメーリングリストの仲間を探してください」という無茶ぶり。
○これ、マスク越しの場合、中々難しそうだけど、盛り上がりそうです。
・「適当にその辺の5,6人でグループ作って、適当に話して」と乱暴な振り方は、安心安全な場ではないから(中略)雑なファシリテーションはやめてほしいと切に願っている。
03 「野生の学び」としてのワークショップ
・「学者は、切れ味よく、切るだけでいいよな。僕らは、其れでも現場に立たなければならないんだよ」。
・研究には「暴き出す」研究と「創り出す」研究ある(後略)。
・「プレイフル・ラーニング」を書いたのは、上田信行さんのさんの言葉を、絶対に残したかったから。
○書ける人が、かきたい人を選ぶ。選ばれる人は、スゴイ。そういう人になれるよう、精進したいものです。
・フォークセオリー(Fork Theory:市井の人々の創り出した理論)とフォーマルセオリー(Formal Theory:その道のプロが創り出した公式の理論)があり、ワークショップは「フォークセオリー」に位置付くものだと。(中略)色々な出自の言葉が跳梁跋扈する現実が「現場」。
04 ワークショップ/ファシリテーションはどのように注目されてきたのか
・ファシリテーターの役割5つ、「スポンジ」「スイッチ」「電話交換機」「ジューサー」「照明灯」。
・ビジネス領域において、個人レベルの「ラーニング」を促進するアプローチ(人材開発や人材育成)と、グループや組織レベルの「タスク」や「リレーション」を促進するアプローチ(組織開発)は、相互に補完関係にあるというのが現在の認識。
コラム1 人間関係の体験学習と組織開発のあいだで
・「教えるな、学生が学ぶのだ」から、「教えるのではない、学生が学ぶのをファシリテートする」とシフトチェンジ。
07 国策アクティブラーニング・ラーニングの何が問題か
・今般のアクティブ・ラーニングは、教師の裁量を狭めているのでは。学習指導要領などを通じて「これに従って授業をやりなさい」が「これに従って授業をやらないとまずい」という圧力に。
・国策アクティブ・ラーニングの実施を、教育機会や学力の格差の視点から捉えなければならないと主張しているのは、学校教育以前の要素(家庭的・地域的な出自の背景)が今日の教育問題を考える上で不可欠の視点だから。
・自己主張が得意で、家庭環境に恵まれた生徒ほど、アクティブ・ラーニング型授業を得意だと考える傾向。その逆は不利な家庭環境が影響。
・教師が一方的に話をしているだけの一斉授業ばかりが150年間続いてきたという歴史の見立てそのものが間違っている(後略)。
○小学生の頃、討論形式の授業があったことを思い出しました。そういえば楽しかったなあ(笑)。
08 反省性を統治する
・ファシリテーションは上下関係を極力排し、対等な関係の中で共に学ぼうとする営みだが、ファシリテーターには「大きな特権や力」があることに十分自覚的でなければならない。
・「自分への問いかけ」を自分自身の感情、こだわり、思い込み、考え方、欲望、動機、自らの行動が及ぼすグループの活動への効果などについて常に十全にできればファシリテーターは「リソースフル」な状態に。
・ファシリテーター論における自己のあり方は、現代社会における「リフレクションの形式化された形態」といえるもので、自らのあり方を気紛れでない「体系的な反省」へ、終わることのない「プロジェクト」へと誘う「自己観察の技術」。
・ファシリテーターを「牧羊犬」と例える。多くの場合、組織における意志決定権を持つ「牧人」の役割を担うのは組織のリーダー(後略)。
・「線路型」「放牧型」「ガードレール型」という教育方法における3つのタイプの中で、ファシリテーションは「上手にガードレールを立てる技」。(中略)ガードレールの幅を上手く調整することが重要。
・ワークショップ研究の代表的成果と言える「ワークショップと学び」シリーズでは、そのキーワードとして「まなびほぐし(unlearn)」が掲げられている。
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