夜と霧 

ヴィクトール・E・フランクル

 

心理学者、強制収容所を体験する

・とにかく生きて帰った私たちはためらわずに「いい人は帰ってこなかった」と言うことができる。

 

第一段階 収容

・「恩赦妄想」。死刑を宣告された者が処刑の直前に、土壇場で恩赦されると空想。

・(密集したどんな過酷な状況でも)眠りは意識を失い、情況の苦しさを忘れさせてくれた。

・「人間はなにごとにもなれる存在」と定義したドストエフスキーの正しさを思わずにいられない。(中略)どこまでも可能だ、と答えるだろう。だが、どのように、とは問わないでほしい。

 

第二段階 収容所生活

・感情のしょめつは、精神にとって必要不可欠は自己保存メカニズム。現実はすっかり遮断。全ての努力とそれに伴うすべての感情生活は、たった一つの課題に集中。自分の生命、仲間の生命を維持することに。

・「胃袋オナニー」。(中略)かなりの良質の人でさえ、ふたたびまがりなりにもましな食事ができる時が来れば、と切望。

・被収容者はほとんど全くと言っていいほど、性的な夢を見なかった。他方、精神分析で言う「手の届かないものへのあがき」、つまり全身全霊を込めた愛へのあこがれその他の情動は、嫌というほど夢に。

・あらゆる精神的な問題は影を潜め、あらゆる高次の関心は引っ込む。文化の冬眠が収容所を支配。

・愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在(哲学者のいう「本質」)に深く関わっている。妻の「現存」、共にあり、肉体があり、生きていあることとは全く問題の外。

○実際に、親族は皆・・・。

・ユーモアも自分を見失わないための魂の武器。ほんの数秒間でも、周囲から距離を取り、情況に打ちひしがれないために、人間という存在に備わっているもの。(中略)ユーモアへの意思、物事を何とか洒落のめそうとする試みは、「まやかし」だが、生きるためのまやかし。

・決断がしばしば生死を分けることがあり、運命が決断の重圧を取り払ってくれることが、被収容者にとってもっとも望ましいということに。

○決断しないで済むなら楽だけど、ということでしょうか。

・人間はどのような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、何らかの決断を下せる。典型的な「被収容者」になるか、なお人間として踏みとどまり、己の尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めること。

・収容所の一日は一週間より長い、というと、収容所仲間は一様にうなずいてくれた。収容所での時間間隔は矛盾に満ちたもの。

○矮小化していえば、退屈な時間はまさにそう。そして、怠惰な時間は気が付くとあっという間に流れ去る。気を付けないといけませんね。

・収容所生活が被収容者にもたらす精神病理学的症状に心理療法や精神衛生の立場から対処するには、そこが強制収容所であってもなお、未来の目的に再び目を向けさせることに異を用い、精神的に励ますことが有力な手立てに。

・自分の未来を真実ことができなかった者は、未来と共に精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻。

・「生きる」とは、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を満たす義務を引き受けることにほかならない。

・自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」も耐えられる。

○人に頼られることが生の原動力に。やる気って、正にそれだと思います。

 

第三段階 収容所から解放されて

・私たちは、正に嬉しいとはどういうことが、忘れていた。それは、もう一度学び直さなければならない何かになってしまっていた。

・人によっては、自分を待つ者はもう一人もいないことを思い知らなければならなかった。

・収容所で体験したすべてがただの悪夢以上の何かだと思える日も、いつかは訪れる。全ての経験は、あれほどの苦悩の後では、もはやこの世には神よりほかに恐れる者はないという、高い代償で贖った感慨によって完成する。

○辛い経験も、負けなければパワーに変換することも可能。負けない=続けること。

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