心をあやつる男たち

心をあやつる男たち

福本博文

第1章 山麓の孤島

第2章 大地震

・殊に米西海岸の流れをくむ産能短大のST講座は、小集団の動きを理解するというよりも、参加者個々人の態度変容をうながすことに力点が置かれる。感情を率直に表現すればよし、といった心構えが求められていたのである。

・STは「西洋禅」とも言われていた。車座のなかで<いま、ここ>に意識を集中していなければ、僧が持ち回る警策という棒の代わりに、トレーナーから罵詈雑言を浴びるのだ。そして、その苦行をへて「ありのまま」の姿に立ち戻っていく。それは、精神修養の場でもあった。

・STによって自分の気持ちが揺さぶられたように、今度は他人の心理を自在に操りたい衝動に駆り立てられ、トレーナーの真似事をする者は少なくない。なかには一度も体験したことがなく、見よう見まねで社員研修にあたるものさえいた。

○人の心に素人が入れるわけもなく、その扉を暴力でこじ開けられたらそれはもう・・・。

・STによって異常な言動が露呈したものは、もともとその「素養」があるとみられていたが、言葉を換えれば、忠誠心が希薄な人間ほど精神的には健康である、という仮説がなりたってしまう。

第3章 チェンジ体験

・普段、いくら腹が立っても取引先や上司を殴ることは許されない。それが利害関係のない者同士とやり合うSTの場であれば、偽りのない感情が表出する。みずみずしい感性が蘇り、その体験が自信につながる場合さえあるのだ。

○神の啓示はある意味脳の神経構造が変わるということなのかも?それがプラスに向くかどうか。少なくとも、他人から強制されるレジリエンスの方向のトレーニングは危険な気がします。

・「時に…堀田さん、そのセミナーの効果は持続しますか」

○禅老子からの問い。禅の修行に来た人も、家庭や職場に戻ると元に戻ってしまうという。禅も一緒だと堀田氏は感慨を深くしたようです。

第4章 転落した「教祖」

○身内が去っていく。傲慢さに気づかないのは怖いですね。

第5章 鼠の花束

・カウンセラーだって問題を抱えている。もっとも、自分に問題を感じていなければ、クライエントの相談には乗れません。勘のよいクライエントは、カウンセラーの病気を見抜きますよ。彼らは医者に慣れきっている。カウンセラーの病気を治してみせると豪語するクライエントがいるほどですからね」

○相互理解。完璧な人間なんていません。

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