プリンシプルのない日本

白洲次郎

○今の時代だと、誰が当てはまるのでしょうか。もの言える日本人。

 

日本人という存在ー白洲次郎氏を囲んで・座談会

河上:この頃の匿名や無署名短評の横行は、インテリに思想や話題がなくなった証拠で、つまりみんな何を考えていいか分からなくなったんだ。その意味で不愉快なことだ。とにかく、文士は悪口を書かれりゃ、こっちも書くけどさ、君なんかそれがないんだからな。

○この頃。1950年の話。何も変わらないからこそ、もしかして面白いのかも。そして古典を読む意味もここにあります。

白洲:妥協は妥協でいいよ。だけども、ほんとの妥協ということは、原則がハッキリしている所に妥協ということが出て来るんでね。日本人のは妥協じゃないんだ。単なる頬かぶりですよ。原則をほったらかしといて「まあまあ」で円く納めようとする。納まってやいやしないんだ。ただ問題をさきへやっとこうというわけだ。臭いものには蓋をしろというんだよ。

白洲:日本人も維新までは、とてもはっきりしていたらしいな。昔の武士の一番大切なことは、それだったらしいな。この頃は何か知らないけど、「まあまあ」とか「とにかく黙って」だよ。死んだふりをしてろというんだな。ダメだよ。死んだふりをしてたって生きてるんだから、いつか起き上がってくるよ。

白洲:痛烈なことをいうと恨むんだね。人の前で恥をかかしたって、面子々々っていうけど、八月十五日以来、日本人に面子なんてあるかっていうんだ。

○善悪は抜きにして、命をかけているかどうかで覚悟の度合いが違うのでしょう。丁度良いところを目指したいものです。軟弱と怒られそうですが。

 

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