【有限会社原田左官工業所】原田宗亮さん

板橋区起業家インタビュー、区切りの第10回目は、文京区千駄木にある【有限会社原田左官工業所】を営む原田宗亮さんにお話を伺いました(お住まいは上板橋)。

原田さんとは、11-1studio主催による[Lecture Series05.「提案型左官職人の育て方」セミナーにてお話を聞かせていただいたご縁で、お話を聞かせていただきました。

1949年創業の原田左官工業所。原田さんは3代目だそうです。

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ー大学卒業後は部品メーカーに就職されたんですね。

原田さん:部品メーカーの営業をしていました。営業を選んだ理由は、他の部署よりも「世の中を知りたい」と思ったからです。いずれは会社を継ぐんだろうな、という漠然とした思いがあり、将来に役立つのは営業かなと。内勤よりも外部の人と触れ合う機会が多いですし。

原田さん:以前は田端に会社がありました。職住一体で、子どもの頃から、会社は当たり前のように目の前にあったんですね。ですから、当たり前のようにいつかは継ぐんだろうなと。

ー最初から原田左官工業に入社というのは、先代からは言われなかったんですか。

原田さん:そういう話はしなかった気がします。父とはそんなに話はしなかったですね。仲が悪いわけではないですが(笑)。

ー父と息子(笑)。

原田さん:実は私はおばあちゃん子で、祖母からは継いだ方がよいと言われたり、継がないほうがよいと言われたり。会社の浮き沈みによって変動していましたね。そういうことも含めて、「当たり前」でした。

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ー女性が活躍されているのも原田左官工業所の特徴なんですね。

原田さん:「ハラダサカンレディース」という女性左官チームが平成2年から16年までありました。当時は女性が建築現場にいるだけでビックリされる時代でした。チーム結成の発端は、事務職の女性スタッフの「左官をやってみたい」という一言なんです。当時は男女雇用機会均等法が施行されて間もなく、建設業でも女性チーム結成に乗り出していました。生コンや鉄筋などの女性チームもありました。

原田さん:女性の感性を活かした施工が求められたのだと思います。また「ハラダサカンレディース」のおかげで左官に対する認知が高まりました。

ーハラダサカンレディース結成の狙いは何だったんですか。

原田さん:一言でいえば、「会社を守るため」だったんだと思います。全体的に左官業が衰退していく中、どうやって生き残っていくか。その中で他業種の女性チームがなくなり、ハラダサカンレディースが後々まで続いたのは、女性を「目立つ」からという観点で起用するのではなく、女性を「活かす」ため、女性ありきで仕事を行っていたからだと思います。

ーそれが今の原田左官工業所、「内装提案型」の左官の基盤なんですね。

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ー原田さんが前職から原田左官工業所に入社したのはどういうタイミングだったんですか。

原田さん:会社の番頭格の人が独立による、社内人事変更のタイミングです。先にも触れましたが、いつかは継ぐという気持ちと、誰かがやらないとという使命感もありました。

ー先日の「提案型左官職人の育て方」セミナーでお伺いしたモデリングを導入する経緯を教えてください。

原田さん:私は職人ではないのですが、昔ながらの「俺の背中を見ろ」的な教え方のデメリットも感じていました。もちろん良いところもたくさんあるのですが、その教え方が合わない人もいるんです。そのせいで人間関係が悪くなって離職してしまうのはもったいないと思っていました。

原田さん:(一社)日本左官業組合連合会の青年部の集まりでも、同じ悩みを持つ人が少なからずいたんですね、人が育たないという。そんな時、札幌で中屋敷左官工業株式会社を営む中屋敷社長から「モデリング」という手法を導入していると聞きました。

認知的徒弟制に通じるものですね。

原田さん:これは良い手法だと思い、4年目の職人と二人で札幌に学びに行きました。腕の良い職人さんでも、人に教えるというのは難しいな、と思っていたのですが、「ビデオを見ながら学ぶ」モデリングは良いなと感じました。正解があって真似をするのはわかりやすいですよね。

原田さん:「モデリングをやってみたい」と、うちでも取り入れるようになりました。2007年から始めたのですが、最初のうちは職人さんも半信半疑なのが正直なところでした。ですが、3年ほど経って、会社全体にモデリングが浸透してきましたね。

原田さん:モデリング導入の経緯はもう一つあって、入社する若手の考えや、そもそも応募してくる層も変わってきたということがありました。2000年頃までは、言い方は悪いですが、どこにも行くところのない高校生の最終地点という考え方もあったんです。高校の先生がそういう学生たちを送り込むと(苦笑)。ですから、彼らも別に左官がやりたくて来るわけではないですし、先輩の職人さんは厳しいし、「辞~めた」と。職人さんも、それで辞めてしまうのはしょうがないと思っていたと思います。残るのは一握りでした。

原田さん:2005年頃から、ホームページを見て申し込んでくる人が増えてきました。左官がアートと捉えられるようになって、アーティストではないけど、左官はやりがいありそうと、最初から左官職人になりたくて応募してくる人が増えてきたんです。そういう人たちに技術を身に付けてもらい、長く仕事を続けてもらうためにも「モデリング」の手法は最適だと思います。

ー離職率は下がっているんですね。モデリングを通じた育成のたまものですね。

原田さん:はい。ベテランの職人さんもモデリングの良さを感じてくれていて。そもそも弟子は可愛いわけですから(笑)。今は中堅の職人さんがモデリングを通じて若い職人さんを育成してくれます。

―育成の文化が軌道に乗っているんですね。

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ー育成の必要性をどのようにお考えですか。

原田さん:建設業の単価が昔に比べて下がってきています。何もしないでいたら、先細りするだけです。それはやがて職人さんへの締め付けにつながりかねません。

原田さん:左官というのは元々は変化のない業種です。そもそも変化の必要がなかったんです。ゼネコンの下請けでいれば安泰だよね、と。ですが、そこにあぐらをかいていて、左官の仕事が減ってきた、左官はいらないよ、となったら生き残れません。生き残るためには変化しないといけない。そのための育成であり、それが提案型左官につながります。

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ー原田さんが考える「自律型人材」について教えてください。

原田さん:一言でいうなら、「自分で仕事を覚えていける人」です。左官を続けていれば、新しい仕事や初めての仕事も出てきます。先輩から教えてもらうこともあれば、自ら学ぶこともありますが、新しい仕事に関わることで、仕事を学べます。失敗することもあるかもしれませんが、失敗は次に活かせます。

原田さん:昔は、相手を「『自律型人材』に変えてやる!」と思っていました。ですが、近づいても遠ざかる人もいますよね。思いのミスマッチ。今は、どう気づかせるか。仕向ける方向を模索中です。

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「対話型OJT」を献本させていただきました。

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インタビュアーの林(ラーンフォレスト合同会社 代表社員)は、上記の「対話型OJT」をもとにした、新人の適応を促す「上手な仕事の教え方」を研修にてお伝えしています。

原田さんの育成に対する熱意が、会社全体に浸透したからこその原田左官工業所の躍進なのだと感じました。

原田さん、どうもありがとうございました!

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