カウンセリングとは何か
カウンセリングとは何か 変化するということ
東畑開人
第1章 カウンセリングとは何か ー 心に突き当たる
・一般市民が常識に基づいて心を理解し、対処しようとするのに対し、カウンセラーは心の非常時についての学問を背景として話を理解し対処する。
・社会に「主流」しか存在できなくなる時、不自由で人工的な密室に。「傍流」として豊かに存在することこそが、自由で自然な社会の条件。
・カウンセリングとは人間が自由な個人になり、孤独と責任を負うことになった近代の副作用に対処するために生まれてきたテクノロジー。
・「心」とは自己と世界の中間にあり、二つの間を調整する装置。(中略)自己の調子を窺い、世界の機嫌を取るのが心の地政学的役割。(中略)心は事故と世界への対応を終えた後に、突き当たるもの。
・心にはできることが案外あるが、力がありすぎると過信しないことも心の専門家の条件。
第2章 謎解きとしてのカウンセリング ー 不幸を解析する
・主訴を書くことを通じて、ユーザーは自分を振り返り、少し客観視することができる。それこそがカウンセリングでなされる作業の本質。申し込みの段階から少しづつ心を考えることが始まっている。
・質問を重ねることでユーザーの好奇心を活性化させて、一緒に謎解きをしていくのがインテーク面接。治療的効果があり、好奇心は心に栄養を与える。
〇好奇心がすべて、というのは言い過ぎかもしれませんが、モチベーションはまさにこれだと思います。
第3章 作戦会議としてのカウンセリング ー 現実を動かす
・作戦会議としてのカウンセリングは生活を問題にし、冒険としてのカウンセリングは人生を問題にする。

・「役に立つ」「このカウンセラーは使える」という感覚があってはじめて、ラポールは生まれてくる。実際に役立つアセスメントをし、介入をする必要が。信頼というのは、人柄とか人徳から生まれるわけではない。
〇きれいごとだけでは誰もついては来ないですよね。ビジネスとして考える、そこに人格者としての自身を演じることも大切だと思います。
・人が孤立しているときには、時間は心を蝕むが、つながりの中に置かれるときは、時間は心に回復をもたらしてくれる。
・ソマティックな作戦会議、体を動かす。身体という客観的な存在を、心が体験したものが「からだ」。自己と心が接触するところに「からだ」が生じる。
第4章 冒険としてのカウンセリング ー 心を揺らす
・生育歴インタビュー。心の歴史とは、いかなる人間関係に傷つき、救われてきたかの集積。
〇自然にかさぶたになってくれるのは、幸せなことなのだと。
・人生の中で反復されてきた人間関係である「人生の脚本」。これがカウンセラーとの間でも反復されることを「転移」という。
・自由連想。心の中に浮かんでいることをそのまま全部話すこと。フロイト以来一貫して受け継がれてきた精神分析のルール。(中略)自由連想に慣れてくるとコミュニケーションの幅が広がる。(鎧に覆われた)スライムを滲みだしやすくするための仕掛け。
・ちゃんと生きるとは、ときどき死んで、その都度新しく生まれること。人生には節目節目で「死と再生」が挟み込まれている。
〇自分の「節目」はどこだったか。経験学習にもつながるものがあるような気がします。
第5章 カウンセリングとは何だったのか ー 終わりながら考える
・依存先が増えるのが自立の条件。
・生活は科学的に変化し、人生は文学的に変化していく。心には二つの車輪がある。両方が回ることで生活と人生は進んでいく。
〇作戦会議と冒険、生活と実存。
・「人生のある時期が終わること」がカウンセリングにおける変化の根源にあるもの。人と人が話をすることの根本的な作用。話すことは「離すこと」。過去を物語るのは起きた出来事を現在から引きはがし、過去に置いておくため。
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