~100年続く酒屋を目指して~に参加させていただきました。

東京中小企業家同友会板橋支部10月例会

「創業74年父から事業承継され7年3代目としての奮闘と夢~100年続く酒屋をめざして~」

に参加させていただきました。

スピーカーは、株式会社三益代表取締役の東海林美保さん。差しさわりのない範囲で備忘録として記します。

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・14年前、母親の病気をきっかけに商社をやめ、家業に。両親と妹(二女)と自分の4人体制に。現在は末の妹と夫、義弟も加わった。

・父は地酒のブランドを全国から仕入れていた。課題は売り先。どうやったら売れるのかを模索していた。妹と十条や赤羽に飛び込み営業もしたが、向いていないことに気づき、試行錯誤の上活路をSNSに求めた。

・覚悟を決めて戻ったが、周囲の人から「お手伝い偉いね」と言われるのには違和感があった。

・父の勧めで行った2,3代目も多い勉強会。いずれ自分が3代目になるという自覚。そこでのビジョンづくりが役に立っている。

・最初は「無いもの探し」だった。昔は「女が酒蔵に入ると酒が腐る」と言われていた時代があったが、今でも男性社会。女性経営者の割合も少ない傾向。それなら、女性が輝く働き場所をつくればいいのではと「あるもの探し」に。女性がいない世界なのならば、逆に覚えてもらえる。

・勉強会で学んだこと3つの大事、「入口が大切」「着地点はどこか」「場づくり・空気づくり」。

・父の考えは「中身が大事」。本物の酒があれば、店の外観はどうでもよいと。子供の頃、ぼろぼろの建物が恥ずかしかったのを覚えている。

・経営について父との衝突も。妹と共によく泣かされた。母に、「このままではイヤだ」と泣きながら訴えた。母の仲介もあり、また、勉強会に活かせてくれたのもいずれは承継を、という父の思いもあったので、7年前に3代目就任。代表取締役に。「ワクワクを創出する酒屋」がモットー。現在父は仕入れ担当で、後ろから見守ってくれている感じ。母は病気もすっかり癒え、今は経理担当。

・コロナ禍で、何で売り上げるかを模索。浮かんだのが、3つの大事の「入り口」。たまたまだが、お店の入り口を地酒に合ったものにしようと店舗のリニューアルのためにクラウドファンディング実施。351人の方から4,330,500円の応援購入をいただけた。

「三益倶楽部」の『三益利酒師 三姉妹セレクト』や『月に一度の蔵元さまとのzoom飲み』。日本酒好きの交流の場に。

・お店のロゴの社名は母の直筆。ロゴが定まったことで夢が広がった。「思い出が作れる酒屋」「つながりの場所としての角打ち」。利酒や、出張鮨職人などのイベントを主催して酒蔵さんにも楽しんでもらう場所に。

・赤羽駅構内での催事に出店。塩釜の阿部勘酒造とのコラボ酒。「赤羽を日本酒の街に」。

・チームとして動けるように、人を少しづつ増やしている。4人から12人に。

・「事業承継は呪い」だという方がいた。そうは思いたくない。いかに花を咲かせるか。看板を磨いて次の世代に。

・地域に根差した活動。「桐っ子食堂(子ども食堂)」を5年前から開催。子供たちに笑顔を届けたい。世界は変えられないけど。

・「桐ヶ丘昭和音楽祭」開催。企画当初は乗り気でない方たちもいたが、進むにつれ皆の眼がキラキラしてきたのが嬉しかった。ここで育った人たち同士のつながりの大切さを実感した。東洋大学、桐ヶ丘郷小学校の吹奏楽隊も参加。学生や子供たちも「また来年もやりたいね」と。

・甥っ子二人。将来の夢は?と聞くと「三益酒店で働きたい」と。働いている姿はもとより、家でも妹夫婦が楽しそうにしているんだろうなと思う。

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ご一緒させていただいた谷田さんのブログ⇒Yan’s diary

===質疑応答===

Q.SNSを始めたきっかけは?

A.暇だったから(笑)。7年前から精力的に行っている。

○セミナー後の懇親会の時、先代と話す機会があったのですが、「酒屋の世界で自分でSNSをやっているのは聞いたことがなかった。やっていても外注。自分たちでやっている娘たちは大したものだよ」と嬉しそうに話してくれました。

Q.なぜ継ごうと思ったのか。

A.自営の親だと懸命に働いているのが目前で見える。自然とすごいなと思えるしよく手伝いもしていた。地酒ブームの時、八海山への行列がすごかった。昔から酒屋を経営するのは男性だというイメージもあり、うちは男がいないし、これはもったいないなと感じていた。大学時代、仕入れに同行したこともあり、商社への就職は葛藤もあった。

Q.全国の仕入れ先、選定基準はある?

A.蔵元さんの思いと三益の思いが「合うか合わないか」というのはある。

Q.取引先を増やす方法は?

A.SNSでの交流や、イベントに参加したり。全く相手にされない時もあったが、どうしても取引したい相手には手紙を書いたり。ある大手の蔵元には、4年かけてお取引をお願いしたこともある。

○4年!実は私も大手外食の方と4年越しで仕事に結びついた経験があるので共感です。

Q.事業承継の際、もめなかったのか。すんなりと先代は受諾したのか。66才はまだまだ第一線だと思うが。

A.勉強会を勧めてくれたのは父でしたし、いずれはという思いはあったと思う。時期を同じくして、勉強会の同期から事業承継のお知らせの連絡が相次いで重なったことも父の気持ちを動かしたかもしれない。

A.三姉妹が経営する店、ということで、仕入れ先の開拓に役立つという思いもあったと思う。

Q.今も元気な先代だが、後悔はなかったと思うか。

A.あると思う(笑)。今もどんどん仕入れてくるから売り先をしっかり作らないと。

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懇親会にて。

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東海林さん、清水会長をはじめとする同友会板橋支部の皆さま、どうもありがとうございました。

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