三国志

三国志 演義から正史、そして史実へ

渡邉 義浩

 

第1章 演義と正史、それぞれの限界

・『演義』は、七分の実事に三分の虚構。虚構によって成り立つ歴史小説でありながら、多くの史実に基づいている。(中略)文語で書かれている部分も多いのは、「三国志」「資治通鑑」など史書からの引用が多いため。

・『三国志』物語は、先行の物語を換骨堕胎することから始められた。

第2章 二袁の真実 「漢」の重みと簒奪

・太平道の「教法」の治病方法は「跪拝首過」。罪過の告白は「首過」。懺悔のように罪の告白による精神療法は広く世界に行われている。

・乱世において、賊の攻撃からの防御や大土地所有という経済資本に比べ、身に着けた文化的価値に対して与えられる名声という文化資本は、維持も移動も容易。

・豪族と称するように、一族として所有できる大土地とは異なり、文化資本は個人に帰属。名族と呼ばず、名士と称する理由。

第3章 「奸絶」曹操 変革者の実像

・豪族の大土地所有により土地を失った農民が流民化し、社会が不安定になったことに対し、土地の所有を等しくしようとする政策ははすべて失敗。

・曹操は、豪族や名士の持つ大土地に手をつけず、戦乱で荒廃し放棄された土地を整備して流民を呼び寄せ、種籾を与え、耕牛を貸して彼ら自身に稼がせ、その収穫の6割を税として徴収。共産主義のような平等は必要しないというのが、曹操の時代を創造する新しさ。

第5章 「義絶」関羽 神となった英雄

・中国では日本の江戸時代に宣揚された忠義のように、主君を変えないことを必ずしも義とは考えず、正しくない国や君主に使えることを恥とする。

・「仁」とは、論語にあるように「愛」であるが、墨子が批判する「別愛(差別愛)」。兼愛や、イエスのアガペー(隣人愛)のようにすべての人を等しく愛せ、ではない。

・孔子は、親を愛し、兄弟を愛し、一族を愛し、村の者を愛し、それを国中に及ぼすことを説いたが、その愛は同心円状に広がるもので、強さが異なる。仁は内なるもの。

・塩地を守る「財神」。関羽の出身地である解県は、中国最大の生産地。(中略)salary(給与)の語源はラテン語のsal(塩)。大陸国家の中国では、塩のとれる場所は限定され、塩の専売は、前漢の武帝期より始まる。

・関羽信仰は、商人と国家権力とが結合するための手段として発展。(中略)塩商である山西商人は、商売先に関羽を勧進し、その劇を演じさせ、自らの功徳を積むとともに、その信仰を民衆にも広めた。

第7章 分かれれば必ず合す 三国志の終焉

・中国の古典古代である「漢」を守ろうとして劉備や諸葛亮は高く評価され続けたが、それでも「漢」は滅び、「漢」を古典と鑑みる新たな国家により中国は統一される。『演義』の循環論的な歴史観は、「漢」による中国統一の願いを今日に伝える。

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