自己探求

自己探求

飯塚毅

序章 私の原風景

・(虚弱だった著者を)父は小学校の6年間、毎朝4時に起こして運動に連れ出してくれた。

・「三度のご飯を二度にしても送るからね」、我が子のために辛苦の生活の中から頑張って(仕送りを)送ってくれていた。

〇親の愛が深いこと、離れるまであまりわかっていませんでした(汗)。

・(植木義雄老師に師事し、表面意識と潜在意識が一致したことで)「性格は不可変である」といったショーペンハウエルの判断は間違いであると知る。

第2章 我が師の教え

・黒田如水の「水五則」の一則、「常に自らの進道を求めて止まざるは水なり」。当たり前だと判断して忘れてしまうのも一つの生き方だが、己が人生の大切な教訓として位置付けた所が偉いと思う。

第3章 心の原点

・ゲーテは晩年、常時無心を己が心の回帰点としていたことを告白。人類史上で真に偉大な人生を送った人は、無心への回帰を常時行っていた人だと想起。師匠の植木義雄老師も紛れもなくその一人。

・「二念を継がず」。無念無想への最短距離。初念だけで終わる工夫をする。この修練を、植木義雄老師曰く「百練千鍛」。

〇先日参加したマインドフルネスにて、同じようなことを言われました。日々鍛錬ということ。

・表面意識と潜在意識の二つ。人間の行動を決めるのは潜在意識。無限の欲望を秘めている。仏教はこの潜在意識を浄化して、空に徹することを求める。(中略)自分を徹底的に純粋化して、潜在意識の中を清浄化すると、克己心の必要がなくなる。人間大飛躍の根源的な前提。

・内面的原理≒「習慣によって心に染み付いたもの」「pattern」「薫習(くんじゅう)・習気(じっけ)」。経験の中で知らず織らずに発想法のクセが出来上がり固まってしまうものが「薫習」。粉砕するために命懸けの修行が必要。

・人間は自分の本質が空であるとの確証体験を持った時、薫習の束縛から解き放され、自己の運命形成能力までも手に入れることができる。つまり、人は自分の性格を変えることができる。

・禅では端的に、父母未生以前本来の目的は何かと問う。自分の本当の姿は、本来形も相も、臭いも、色も、味も、手で触れられる何ものもなかったということ。「空」というものが己の真の実相だと全身で分かること。ここに確証体験がある。

・釈迦が説く最高の生きざまの三条件「信ずる」「洞察力を持つ」「絶えず自分の心を耕す」。優先順位はない。

第4章 仏教の智慧

終章 力の限り、ひと時を咲く

・デカルトの限界。「我れ思う」の「我れ」は「小我」でしかない。至道無難禅師の和歌「殺せ殺せ、己を殺せ、殺し果てて、何も無きとき、人の師となれ」。そこに真の自分、大我に生きる自分が顕在。人の師足るに値する本当の自分。釈尊が自覚し発見した「対象物のない心の集中状態」そのもの。

・自利利他に徹しているか。相手の幸せを願い、純粋にそれだけになり、相手に接しているか。

〇本当に難しいからこそ、問い続けること。私的には「嘘もつき続ければ本当になる」で精進しようかと。

〇合わせて、実録小説「不撓不屈」を読むと、さらに味わい深いです。

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