板橋区起業家インタビュー、第12回目は、宗像勝巳事務所の宗像先生よりご紹介をいただいた、小豆沢の【諏訪建設株式会社】社長の諏訪憲一さんにお話を伺いました。
コロナ禍以来続けているウォーキングで何度か事務所の前を通りかかった際には、「オシャレなカフェみたいな事務所だな~」と思っていたのですが・・・その謎が解けたインタビューでもありました。
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-ホームページを拝見すると、「小豆沢で創業90年」とありますね。
諏訪さん:祖父の代から数えるとそうです(2021年現在、92年)。祖父の工務店を父が継ぎました。私は高校生の頃、父が経営していた「諏訪工務店」を手伝ったりしていました。当時はバブルで猫の手も借りたいほどの忙しさだったんですね。
諏訪さん:高校卒業後、そのまま一緒に働きました。18才から30才までです。結構、ぶつかり合いながらでしたが、父からはたくさんのことを教わりました。
-独立の経緯を教えてください。
諏訪さん:25才の時、舟渡に戸建てを購入したんです。というより、買わされた(笑)。父が資材置き場としても活用したいという思いがあったので。それから5年後に30才で独立しました。
-一度、お父さんと離れたんですね。
諏訪さん:ケンカしたわけではないんですが、やはりぶつかることも多いし、一度独立してやってみようと思ったんです。後年、母と話したのですが、諏訪工務店に入る前に、外の会社の空気を吸った方が良いな、と思っていたそうです。
諏訪さん:その後36才で結婚を機に法人化しました。取引先のお客さまにも法人化を進められていたこともあり、父の諏訪工務店を引き継ぐ形で「諏訪建設株式会社」に。現在の場所で奥さんと弟の三人で始めました。父にも色々と手伝ってもらっています。
-90年続くという意味では、諏訪工務店から続く3代目という形になるんですね。
諏訪さん:そうですね。ですから、若い時には言葉は悪いですが「なめられる」時もありました。20代半ばごろ、現場では父の代わりに監督業務をやることも結構あったのですが、昔からの職人に「お前に雇われているわけじゃない」「親父ならもっとこうやってくれた」などときついことを言う職人さんもいましたね。
-もめたりはしなかったんですか。
諏訪さん:悔しいこともありましたが、自分の知識が足りないからだと思って我慢しました。もっと仕事を覚えて、「将来は変えてやる」と思っていましたね。
諏訪さん:現場を統括するに当たり、たくさんの業者さんとのお付き合いが必要になります。30社ほどになるでしょうか。考えてみれば、諏訪工務店時代からお付き合いが続いているのは1社のみですね。自分と同世代の社長です。
-同志みたいなものですね。
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-以前から事務所の前を通りかかる度に気になっていたんですが、外から見るだけでなく、内装もオシャレなカフェみたいに思えます。
諏訪さん:実は、リノベーションを行ったのは2年半前なんです。法人化以来13年間古い建物のままだったんです。ある時お客さまに「建設会社の外観がぼろかったら頼まないよね」と言われたこともありました。改築の許可がなかなか下りず、じゃあ内装だけでもと思い、色々と工夫しました。また、地域貢献ではないですが、壁1面に大きな黒板を設置して近所の子供たちに使ってもらったりしていました。
-地域密着というのがぴったりな気がします。
諏訪さん:子供の頃からずっとお世話になっている方達も多いですから。良い意味で、私を子供の頃と同じように見てくれる人もいます(笑)。そういう意味では、10年前から
「のりちゃん通信」を地域の皆さんにお配りしているので、身近に感じてくれているのかもしれませんね。
-色々なイベントを開催しているんですね。
諏訪さん:はい。
「ハワイアングリーンアート教室」のワークショップを開いたり、木工を子供に教えたり、収納のプロを招いたり。地元のお客さまに少しでも還元できればと思っています。他にはコロナでストップしていますが、「諏訪祭り」を毎年8月に開催していました。協力業者さんたちと屋台を出して。ご近所の方に楽しんでもらえれば良いなと思っています。
-業者さんと一緒に屋台をやるのって良いですね。仲良しになりそう(笑)。
諏訪さん:屋台をやる時もちょっとした仕掛けをしています。現場では当然ながら、それぞれの業種の職人さんがそれぞれ専門の作業をします。ですから、厳密には一緒に作業はしていないんですね。諏訪祭りでは、異業種の人と組ませて焼きそば屋をやってもらったりと、普段組まない人同士で組んでもらいます。家づくりを一緒にやる業者さんだからこそ、普段から仲良くしてもらいたい。そうすることで現場でお互いがお互いを気づかい、自然に譲り合うようになります。現場がスムーズになる効果があると思っています。
諏訪さん:家づくりは人づくり。お客さまの顔が見えないと気持ちが入らないんです。以前、大手メーカーの下請けをやっていた時は、地元のお客さんの、うちが以前建てた建物のリフォームの際、もっと手を入れてあげたいなと思っても、メーカーの意向でできなかったことがありました。上から言われたことしかできない。それじゃあ、良い仕事はできないと、大手メーカーの仕事を手放しました。もちろん周囲には反対されましたが、今では良かったと思っています。
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-諏訪さんのお立場は現場を取りまとめることが仕事だと思いますが、「人材育成」についてのお考えを聞かせていただけますか。
諏訪さん:現場になるべく出ないようにしています。30代の時、懇意にしていた東京ガスの支社長に言われた言葉が今でも残っています。「お前は(現場作業を)できるようになっちゃダメだ」と。最初に言われたときは、言葉の意味が理解できませんでした。というより、しばらくは分からなかった。現場に出るな、というのは仕事をするなということと同じだと思っていましたから。
諏訪さん:意味が分かるようになったのは5年ほど前。支社長がお亡くなりになられた頃と同時期なんです。今ではとてもよくわかります。
経営者の仕事は「会社の未来を考えること」。そのためには時間が必要です。
-支社長から受け継いだ魂なんですね。
諏訪さん:同世代のある社長とこの話を共有したとき、最初は腹落ちしていないようでしたが、最近は理解し始めたように感じています。端的に言えば、自分が動けなくなった時、下が育っていないと困ると、人を育て始めたようです。
-人を育てる時に大事にしている事を教えてください。
諏訪さん:以前は部下や職人に怒鳴ってしまったこともありました。ですが、怒鳴ってしまうと長続きしない。離職率は正直高かったです。怒って良いことはないですね。育成に対する考え方が変わってきた理由の一つに、勉強会に参加するようになったことがあります。友人の経営者が教えてくれた勉強会に参加しはじめました。その効果として、本から学ぶことが多くなりました。
諏訪さん:会社を良くする為にも学び続けることが大切だと思っています。常に本を読んだり、セミナーに行ったりしています。
-どのように指導されていますか。
諏訪さん:指導の時には、『出来ると信じて、出来るまで付き合います』。もし失敗しても、かえってよく覚えられる。ただ、向き不向きもあるので、どうしてもその作業に合わないと思ったときは、何が合うのか考えます。向いてることが必ずある。適材適所。自分から放り投げることはしません。
諏訪さん:ある現場で70代の親方が自分のところの若い職人にべらんめえで怒鳴っていたり、ぶっきらぼうだったりということがありました。その親方と、そのやり方はどうでしょうか、と話し合いました。話せばわかる人も少なくないんです。その親方は、中々口調は直せないんですが、『こんなんでごめんよ』と若者に伝えるようになったんです。最初のうちは若者も納得していなかったようですが、段々と分かりあえるようになり、今では仲良くやっています。
諏訪さん:去年から採用活動に注力を始めました。工業高校の新卒を1名採用することができました。実は最近、江戸川区商工会議所から新卒の彼にインタビュー依頼がありました。インタビューに立ち会ったのですが、しっかりと仕事の話をしている姿はうれしかったですね。
諏訪さんが思う「自律型人材」について教えてください。
諏訪さん:最初から自立できる人は少ないと思うんです。経営者が自律型にさせてあげる必要があると思います。仕事を楽しくさせてあげる、怒らない。仕事が楽しくなければもちろん、指導の際に怒ると、自分から仕事をやらなくなる。動かなくなります。仕事を楽しめるようにしてあげるのが経営者の仕事です。
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-板橋の起業家候補にひと言いただけますか。
諏訪さん:『経営の目的を明確にして、成功するまでやり続ける』です。
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対話型OJTを献本させていただきました。
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インタビュアーの林(ラーンフォレスト合同会社 代表社員)は、上記の「対話型OJT」をもとにした、新人の適応を促す「上手な仕事の教え方」を研修にてお伝えしています。
インタビュー時、美味しいコーヒーをいただいたのですが、
「このコーヒー、坂口憲二さんが焙煎士を務める『THE RISING SUN COFFEE』なんですよ」
と教えていただきビックリ。友達の友達だそうです。その体でいえば、三興塗料の清水さん、原田左官工業所の原田さんともつながりがあるそうで、思わずうれしくなりました。板橋区起業家インタビュー、ネットワークづくりが先々何かのお役に立てれば良いなと思います。
諏訪さん、どうもありがとうございました!
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