【有限会社カワシマシキ工芸】川島克之さん

板橋区の起業家インタビュー、第16回目は「有限会社カワシマシキ工芸」代表取締役、川島克之さんにお話を伺いました。

板橋区起業家インタービューを始めた当初の目標、30人の折り返し。コロナ前に活動を休止?した「いたばし部」の最初期メンバーの川島さんには以前からお話をお伺いしたいと思っており、この度、後半戦のトップバッターにご指名させていただきました!

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あらためてお名刺交換をさせていただく際、川島さんから「今、新しいの作りますね」と言われ・・・

!!!レーザーカッター!!!みるみるうちに名刺が刻まれていきます。

先日、「板橋の地域ボードゲーム会」に参加した際のゲームのコマなどは、このレーザーカッターで作成したものだそうです。

のっけから良いものを見せていただきました♪

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-川島さんは2代目なんですね。

川島さん:元々、栃木県出身なんです。父が栃木から前野町にある紙加工の会社に通勤していました。その後47年ほど前に起業。志村三丁目に工場を開設しました。それから2年ほど経った小学校6年生の時、工場の2階にあるアパートが空き、家族で東京に引っ越してきました。友達と別れるのはさみしかったですね。

※現在の工場には1984年に移転

-職住一致で、お父さんの仕事をずっと見て育ったんですね。板橋区起業家インタビューでは、2代目の方のお話を聴くことも多いのですが、川島さんも継ぐつもりだったのですか。

川島さん:はい。それどころか、「継がないと勘当」とまで言われていました(苦笑)。それで、商業高校に進学し、卒業後はすぐに会社に入りました。

-家業の手伝いなどはしていたのですか。

川島さん:中学生の頃から、工場が忙しい時に手伝うようになりました。高校に進学後は、他にもウェイターやビル掃除のアルバイトをしていたんですが、今思うと家業が一番大変でした。でも、そんなもんかな、と思っていました。

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-紙器工芸、ということなのですが、私が知っている川島さんは、Tシャツやマグカップなど色々なものに印刷をしている会社の社長というイメージでした。

川島さん:元々は紙器がメインの仕事だったんです。「はらぺこあおむし」って、知ってますか。これに空いている穴、初期の頃はうちが穴をあけていたんですよ。

と、穴あけのための道具を見せてくれました。

川島さん:箱の展開図とか型抜きとか。こういうの、見たことありませんか。

川島さん:お店のポップや学校で使用する真四角ではないデザインの紙を「型抜き」するんです。我々は型抜き屋。通称は「抜き屋」と言います。

抜き加工

川島さん:時代と共に広告費が削減されています。バブルの頃がピークでしたね。ネット広告の普及はその一因です。紙の本が売れない、というのと構造は一緒かもしれません。昔に比べて絶対数が少なくなっています。紙の仕事は、個人商店が多いと思うのですが、元請けさんとの間には一次下請け、孫請け、・・・と何社もいるので、「型抜きをやっているのは誰なんだろう」などとは思われません。世間から認知しづらい仕事。正直、つまらなかったというのが本音です。

川島さん:先代から経営を引き継いだ13年前くらいからTシャツプリントなどの「ウェアプリント」を始めました。最初は知り合いの紹介で、卓球のゼッケンを印刷してネットで販売。そこから、卓球のウェアなど卓球関係の印刷を手掛けるようになり、ウェアプリントができる会社だと認知されるようになってきました。

-ウェアプリントと紙加工を同時並行でやっていたんですね。

川島さん:紙と一番違うと感じているのは、お客さんと直接会話ができる仕事だということです。人脈が広がります。人とつながるのは面白いんですよね。実利的にも、紙は言ってしまえば「銭単位」の仕事。ウェアプリントは「千円単位」。ですから、会社を続けていくためにも紙の比率を少しづつ下げていきました。現在の比率はウェアプリントと紙加工で9対1くらいです。

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-ウェアプリントを導入し始めた時期が、川島さんの「起業家」としてのスタートだったんですね。

川島さん:経営を引き継ぐ前は、正直なところ仕事に思い入れはなかったんです。自分の家業とはいえ、雇われですから。もちろん与えられた仕事はしっかりこなしますが、それ以上のことはなく。仕事は仕事と、プライベートに楽しみを見いだしていました。

川島さん:ですがウェアプリント事業は自分で始めた仕事。経営を引き継ぐまでは親の敷いたレールに乗っているだけでしたが、思えばそこから起業家マインドが広がり始めたのかもしれません。

-紙加工は、今後どうされていくのでしょうか。

川島さん:最近、紙に見切りをつけてもよいかな、と思い始めています。機械や技術には愛着がありますが、今ある機械たちは、壊れたらもう直せないものが多いんです。年代物。だからこそ、紙の技術に興味を持つ人に伝えたい思いがあります。そもそも、一般の人はもとより、出版社さえも「抜き屋」の現場を見たことがない人が多いですから。

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-川島さんはいたばしデザイン同好会のメンバーなんですよね。暗渠Tシャツは、こちらでプリントされたと聞いています。

川島さん:はい。シルク印刷なんですが、3枚を狂いなく合わせるので結構大変なんですよ。

川島さん:ウェアプリント事業を通じて、つながりが増えてきました。先日も、いたばし部つながりで熱帯植物園でのワークショップのお手伝いをしてきました。アイロンプリント体験。皆が喜んでくれるのは嬉しいですね。コミュニケーションツールになることを、企業に提案していきたいと思っています。

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-板橋区の起業家候補にひと言いただけますか。

川島さん:経営を引き継いで13年間、大変な時期もありましたが、何があっても事業を畳もうとは思わなかったんです。辞めなければチャンスは来る。辞めずに生きのびてきました。

川島さん:自分の道を決めつけないこと。時代の流れは早いですから、アンテナを四方に張ってよく見ていってもらいたいです。もし今会社員なら、副業・複業を始めて稼ぐことを経験してほしいと思います。

川島さん:何より、人を大事にすること。私はこれまで色々な人に助けられてきました。人脈を大事にすることが、事業を続けていく上で一番大切にしていること。そのためには色々なところに足を運ぶこと。そうすることで、「良い人と出会う運」が良くなるのだと思います。

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対話型OJTを献本させていただきました。

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インタビュアーの林(ラーンフォレスト合同会社 代表社員)は、上記の「対話型OJT」をもとにした、新人の適応を促す「上手な仕事の教え方」を研修にてお伝えしています。

インタビュー終了後、いたばし部のTさんも合流して、久しぶりの飲み会議を行いました。川島さん曰く、「俺は良い人と会う運がすごく強いんだよね!でも大金持ちになる運は持ってないんだけど」だそうです(笑)。川島さんの人柄が、周りの人をハッピーにしてくれています。

川島さん、どうもありがとうございました!

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