安岡正篤一日一言
安岡正篤一日一言
安岡正篤
1月
・「新」は、「辛」と「木」と「斤」との組み合わせ。辛は努力、斤は木を斬る「まさかり・大おの」。よく木を愛して育て、努力して加工し、新 ー あらたなものにして活用すること。真に新しくするには大した容易と努力を要する。新人などざらにあるものではない。
・思想的・精神的な書物は、手にとって見ると、この本はいいとか、だめだということを直観。読んでみてから思うようでは、勘が鈍い。
2月
・天命は動きのとれないものではなく、修養次第、徳の修め方如何でどうなるかわからないもの。宿命観などに支配されて自分から限るものではない。
3月
・世間的にはさして地位や名誉がなくても、自らその環境の中で名が聞こえない、お前追ったのか、というようなことではつまらない。(中略)親戚縁者だけの間でもよい。いい叔父さんだよと言われるだけでよろしい。
4月
・なるべく人の世話役を心掛け、報を望むな求むるな。
5月
・16日。人は一つの「自然」。自然の如く真実でなけければならぬ。
・一国の文明は、その母の文明に基づく。
・話し上手より聞き上手。自分が接するあらゆる人から専門知識体験を聞き、わがものにすることができれば活学。
6月
・2日。純真さ、情熱と気迫、不羈奔放な理想と寝食も忘れる勉強ぶりと、偉人に私淑し、万巻の書を読み、師友を求め、名山大川に遊び、感激に死のうとするようなやむにやまれぬ魂こそ青年の尊い精神。
・自分の存在が些細なものであっても、悉く社会に関連していることを体認して、自らを、自らの周囲を良くして荒涼たる砂漠の一隅に緑のオアシスをつくること。
7月
・人間の本当の正しさはちょっとした日常の挨拶や振舞にあらわれ、何でもない行動に人間内容やその背景を知ることができる。(中略)ついうっかり言った言葉、ちょっとやった行為がその人の人間を決定する。
・利益ばかり追求していると、物事の理がわからなくなり、思いがけない恨みを招いたりする。
8月
・煩わしいことが多くても、全て自分のことは自分でやらなければならない。順序良くやると意外に苦労が少なく成功する。
9月
・三味が一つに溶け合い、甘味の中に苦味・渋み、苦味・渋みの中に甘味がある。人間も少し苦味が出てこないと本物ではない。言葉でも本当のためになる言葉の多くは苦言。
・呼吸は、医学的には先ず吐いて吸うのが正しい。出す、排泄という機能が人間の生理では非常に大事。
10月
・3日。学問・修養次第で、木偶のような人間でも、風韻とか韻致・気韻、風格というものが出てくる。
・才と徳。才は副詞だと「わずかに」という意味に。能力は大事だがそれだけではわずかなものに過ぎない。才の大事さを充分に知りつつ、「わずかに」と訓ませる、昔の人の識見の高さ。
・我執のないよく人と打融けあえる性情の人は自然に頭が良く、自身知見が立たずとも賢者の意見を能く判断して用いることができるから、なまじい私見が立つより良い。
11月
・自分を究尽し修練すれば、他人にない性質と能力を持っている。うまく開発すればだれでもそれを発揮することができる。「運命学」「立命の学」「人間科学」。東洋哲学の一番生粋。
・本当の学問をすれば人相も運も良くなる。(中略)本当の学者聖賢は、相や運の大事なことは知っていたが、敢えてそれを説かなかった。
12月
・黙するということは内に力を蓄えること。かくして発せられた言葉は人を心服させるに足る。
・人間は俗生活しているほど、その中に俗に動ぜざるもの、汚れざるものがなければならない。それで初めて俗を楽しむこともできる。
・教育とは、つまるところは先輩・後輩と長者・少者の連続‣連結の役目をなすものでなければならない。「孝」という字は、親子・老少、先輩・後輩の連続・統一をあらわす文字。
・天地のお陰、国家や社会のお陰、親や師友のお陰をしみじみと感じ取り認しくすることが「恩を知る」ということ。
・31日。まず周囲の暗を照らす一燈に。手の届く限り至る所に燈明を。一人一燈なれば、萬人萬燈。
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