思考と行動における言語

思考と行動における言語

S・I・ハヤカワ

 

1 言語と生存

・言語は人間生活の欠くことのできない機構であり、我々の人生は我々と同じ種の成員の過去の経験の集積によって形作られ、導かれ、豊かにされ、可能にされている。

 

2 記号

・人々がしたりしたがったり、所有したりしたがったりするもので、その物質的価値に加えて記号的価値の伴っていないものはほとんどない。

・言語的世界=報告・地図。外在的世界=経験・現地。

・「記号は、物そのもの」「地図は、現地」「コトバは、物」ではない。

 

3 報告、推論、断定

 

4 文脈

・辞書を書くということは、語の「真の意味」についての権威的な叙述を打ち立てる仕事ではなく、種々の語が過去に著者たちにとってどんな意味であったかをできるだけ忠実に記録する仕事。歴史家であって法律を作る人ではない。

 

5 言語の二重の仕事

・ひどく腹を立て、怒りを荒っぽく表出する必要を感じる時、言語的タブーな言葉を発することは、荒れ狂って家具を打ち壊すことに対する比較的無害な、言語による代償行為の役をする。危機に際して一種の安全弁の役割。

 

6 社会的結びつきの言語

・日常生活において、コトバそのものにはあまりこだわらない方がよい場合が多い。言葉の背後にある意図が、コトバそれ自身の表面の意義よりはるかに賢明でありわかりやすいものであることが珍しくない。

 

7 社会的制御の言語

・「ここにいらっしゃい!」と言う時、我々はある事を起こさせようとしている。「命令」「願い」「要求」「指令」などは、コトバによってある事を起こさせるためのもっとも単純な方法。

・コトバにより、人類の未来をの活動を制御し、指導し、影響を与えようとする行為、「言語の指令的用法」。

・指令的言語を発する人は、それとはっきり言うにせよ言わないにせよ約束を付属させているのだから、できるだけ確実な発言をして決して偽りの期待を持たせないようにすることが道徳的な義務。

 

8 感化的コミュニケーションの言語

・言語的催眠術。耳障りの良い演説、長い単語、もったいぶった態度は、話の内容にかかわりなく、結果において感化的。

・ある人々は話されている内容を聞くのではなく、語の響きがもたらす快い、心のマッサージを楽しんでいる。(中略)この種の聴衆は多いので、知的欠陥が公職・舞台やテレビ・ラジオ・講演・教会で成功するのに障害になることは滅多にない。

・引喩は、聞き手が、言及されている歴史や文学・国民・出来事を十分に知っている場合にだけ感化的に有効。

・歴史と文学の学習は、実際的な人々が好んで思いたがるように、単に社会的教養のためのムダな知識ではなく、他人とのコミュニケーションの能率を高めるため、他者が我々に伝達しようとしていることの理解を増すための必要な手段。

・記号的経験。極めて現実的な意味において、良い文学を読んだ人々は、読めない人々、読もうとしない人々よりも、より多くの人生を生きたことに。

・科学は(人類に)協力を可能にする。芸術は共感性を増し、喜んで協力するように仕向ける。

 

9 芸術と緊張

・発言ということの最も重要な機能の一つは「緊張」の緩和に。

・小説・戯曲・詩は、部分的には呪詛や間投語と同じく、その緊張が喜びの結果であろうと、欺き・不安・挫折からであろうと、生体が強い緊張を経験する時の内的必要から出る。発言してしまうと、その緊張は、大なり小なり(一時的であろうが)緩和される。

○吐き出しの大切さ。ため込むことはよろしくないですね。

 

10 われわれはどうやって知るか

・抽象を評価するには、「高い」か「低い」かではなく、それがより低いレベルに照らしてみることが出来るかどうかを見なければならない。

・面白い著作家・実のある話し手・正確な思想家、そして分別のある個人というものは、抽象のハシゴのあらゆる段階において活動し、素早く滑らかに秩序ある仕方で高低のレベルを行き来できる人。

○たとえ話をすると伝わりやすいですね。

 

11 居なかった小人

・ウワサが広がるにつれて尾ひれがつく。誇張の多くは、高い中小レベルに上ろうとする傾向。「報告から推論に断定に」、そしてレベルの混同に。

 

13 分類

・思考や読書の一般的な方針としての法則、「牝牛¹は牝牛²ではない」「ユダヤ人¹はユダヤ人²ではない」「政治家¹は政治家²ではない」。この法則は、抽象のレベルを混同することを防ぎ、もし一躍結論に飛んで後で悔いるような場合にも、よく事実について考えさせてくれる。

 

14 二値的考え方

・二値的な考え方(私は正しい、そして他者は皆間違っている)と多値的な考え方(私にはわからない、一緒に考えてみよう)。

・二値的な考え方は闘争心を増大させるが、世界を正確に評価する能力をひどく弱める。闘争以外の目的でも、常に予期と反対の結果を得るに過ぎない。

・演説家や論説記者は、平和・繁栄・良い政治・立派な目的のためと称して、しばしばこの粗野な二値的考え方をほしいままに使う。

○肝に銘じておくとよい予防になりそうです。

 

15 多値的考え方

・会話から一番利益を得るための重要な方法は、叙述が「真」か「偽」であると仮定する代わりに、0から100%までの間の「真理値」を持つと考えること。

・文明生活全体は、皆が快く教えると同時に快く学ぶことにかかっている。反応を延滞し「もう少し話してくれませんか」と言うことができ、反応する前に耳を傾ける。(中略)多値的な考え方は民主的な話し合いと人類の協力のために必要。

 

16 詩と広告

・詩の言語はたえず容赦なく物売りの目的で使用されており、何かを売ろうとしているように響く危険を冒さずに熱意を込め、嬉し気に、確信をもってものを言うことはほとんど不可能に。

 

17 ジューク・ボックスの中の10セント銀貨

・先生の仕事は、知的・道徳的な自己訓練を勧めること。広告主の仕事は、しばしば考えないこと(衝動的な買い方)と気ままとを勧めること。

・もし広告が情報的で気が利いており、教育的で想像力に富んでいるなら、必要な営利的機能を果たすとともに、感化的なコトバの暴力のドレイにすることなく人生の喜びに貢献することも。

・生かじり。有利な印象を作り出すため、話し手(書き手)が自分に分からない学問的用語をやたらに使う話し方を意味する用語。職業的言語使用者成る学問的階層が存在するすべての文化の中に存在。

 

19 内の秩序と外の秩序

・偉大な書物は、大きな新しい疑問を開発するもの。研究を止めるような影響をもたらすのは誤読されたことに。

・カール・R・ロジャースは、自身について作る「地図」を「自己概念」と呼び、「現実的」なものと「非現実的」なものがある。

・自身が何を為すかは、実際の力や限界によって決定されるというより、「このくらいだろう」と信ずるところによって決定、すなわち「自己概念」によって決定される。

・地図は現地ではない。自己概念は自分自身ではない。地図は現地の全てを現すものではない。人の自己概念が実際のその人自身について所略している部分は膨大。

・精神科医やカウンセラーの助力の最も重要な一つの面は、決して我々にいかなる断定も下さないという事実。

 

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