「トカイナカに生きる」(文春新書)出版記念パーティーに参加してきました。

私の中での「フフフおじさん」こと、神山さん(仲良くさせてもらってます(笑))の新刊に、私もちょっと取材してもらっています。

神山さんとのご縁があって以来、私の中では「いたばし愛」が増加しています。

先日、生粋の板橋区民の方から、「林さんは何故、板橋区が好きなの?」と聞かれ、考えてみると・・・数年前の娘たちの言葉が言い得て妙だと思いました。それは、

「板橋区って、なんでこんなに田舎なの」

板橋人には平にご容赦いただきたいのですが、私には誉め言葉に聞こえたものでした。

東京にある、田舎(笑)。

極端な話、ときがわ町よりも「トウキョー」に近いのです。

それはさておき、板橋区とときがわ町を姉妹都市にするというライフワークを胸に秘めた私としては、今回の神山さんの書籍は良いベンチマークになるような気がしています。

以下、差し障りのない範囲で備忘録として記しておきます。

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・まずはときがわ町渡邉町長のご挨拶。

「本を読んでビジュアルが浮かび上がった」。

○久しぶりに町長にお会いできてうれしかったです。

・霜里農場の金子さん。

「執筆の経験もあるが、簿謝。ずっと続けている神山さんはすごい」。

・神山さん。「知人に、田舎ではいつもクリスマスなんだね、と言われる。『トナカイと生きる』だって(笑)」。

「ときがわをサイクリングしていると、子どもたちが挨拶をしてくれる。こんなおじさんにも。都会じゃあまり考えられない」。

「下校のチャイム。『子供たちを見守って』と。都会では、”子供たちの下校のタイミングを教えるのは良くないのでは”という声も」

「『トカイナカに生きる』を読み聞かせしてくれたり、図書館に寄贈してくれたり。関根さんに感謝」。

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・ソプラノ歌手の富永美樹さん、ピアノ伴奏の寺田さんと共に、「少年時代」と「スタンド・アローン」のお披露目。

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・特別ゲストの森永卓郎さんと神山さんの対談。

「デブ、というよりメタボと言った方が良いように、圏央道構想よりもトカイナカ、という言葉に惹かれた。それで森永さんに会いに行ったのが始まり」。

「最初の2,3人はすぐ動く。その後、10人ほどが(アーリーアダプターとして?)動く。そこをどうやって増やしていくか」。

「都心は2,3年でダメになる。首都直下型地震や線状降水帯。東京北部あたりまで、直近までは海だった」。

「平安時代と現在の兆候と一緒。3年以内に100%起こる」

○そうならないことを祈りつつ、板橋は貝塚があるのでギリギリでしょうか(^_^;)

「コロナで都心の脆弱さが露呈。タワマンのエレベーター。感染対策で乗員数を数人に押さえた時、最上階(19階建て)では30分待ち」。

「都会の仕事は云わば『スイッチオフ』にした状態。我慢している。楽しいのは自由だから。都会が失っているもの」。

「コロナ前後で若者の意識も変化。埼玉の大学の教え子、コロナ前は100%東京に就職だったが、今は半分ほどに」。

「年金。30年後は夫婦2人で月13万ほど」。

○田舎じゃないと・・・?

「最近は昔のように忖度しなくなった。そのせいかテレビ出演は減ったが、ラジオの依頼が増えた」。

○確かに。ニュースステーション時代とは印象が変わりました(笑)。

「お金中毒はアル中や麻薬中毒と一緒」。

「資本主義とは、増殖する価値である、と資本論」。

「近隣の原理、とガンジー。小さな経済の循環をたくさん作る。地域でお金を回さないと。アマゾンではなく」。

「自産自消、地産地消、国産国消。それで足りないときは海外から」。

「ど田舎はきついけど、トカイナカなら。絶妙な距離感。軟弱かもしれないが」。

「帯広では、ケンタッキーやマクドナルドが撤退。地元の店」。

○板橋区の仲宿商店街では、コンビニが根付かないと最近までは言われていました。今は数件ありますが・・・。

「やりたいことを作って決断。田舎の方がやりやすいかも」。

・「ヒトのつながりができたのは奥さんのおかげ。書籍が売れたあと、10年間はとても忙しかったので、自分では地域のつながりが作れなかった」。

・「最初は群馬の畑を借りていたが、コロナで行けなくなった。『東京の人は来ないで欲しい』と(苦笑)。そこで、近所(所沢)の休耕地を借り、開墾。鍬一本で。大変だったが楽しかった。だが、地主の相続が発生し、開墾地は没収。新たに開墾。耕運機を借りたらあっという間だった(笑)。」

「なんとなく繋がっていく」

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神山さん、森永さん、皆さま、どうもありがとうございました!

 

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