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河合隼雄スペシャル

河合俊雄

○河合隼雄先生のことを知りたい方への入門書として良いと思います!

第1回 心の問題に寄りそう

・『ユング心理学入門』は河合隼雄が日本語で書いた最初の著作で、一九六六年に京都大学で行った全十三回の講義『分析心理学入門』を骨子としています。

・科学的な理論や哲学的な真理に当てはめて考えるのではく、目の前のクライエント(来談者) の心理現象と向き合い、その人の「素朴にして困難なWhy」に答えていくのが心理学であり、ユングのめざした心理療法だということです。

・性か権力か、過去か目的か。どちらかの理論でしか説明がつかないとなれば、説明のつく方が正しく、つかないほうには理論的な不備があると考えられます。しかし実際には、一つの現象に対して二つの異なる説明が可能でした。(中略)フロイトともアドラーとも異なる自分の心理学を追求し、苦闘した末にユングが辿りついたのが『タイプ論』です。

・ユングは、フロイトとアドラーの見解が異なるのは、そもそも二人が異なるタイプの人間だからと考えました。

○これ、言葉でいうのは簡単だけど、考えて理論にするのは相当困難だったと思います。感情を排除しながら考える難しさ。

・外向型か内向型かという基本的な「態度」とは別に、人間には四つの「心理機能が」が備わっているとユングは考えていました。それが「思考」「感情」「感覚」「直観」です。

・誰しも四つの機能を持っているとユングは主張します。「あなたはこういうタイプの人だ」とレッテルを貼るために区別・分類したのではなく、無意識の中に沈んでいると思われる機能を開発し、発展させていくことが大事だと言っているのです。

・コンプレックスは「無意識的に存在して、何らかの感情によって結ばれている心的内容の集まり」であり、それは「統合性を持つ自我の働きを乱すもの」です。

○「コンプレックス」という言葉を、ネガティブ感情を表す用法として使い始めたのがユングだそう。

・コンプレックスが「ある程度の自律性をもち、自我の統制に服さない」からです。その意味で、コンプレックスとは自分の中にいる他人のようなものなのです。

○SPでいうところの「ネガティブカード」。うまく付き合う=統合することが大事だと。

 

第2回 人間の根源とイメージ

・普段の人間関係、夫婦や親子の会話においても、相手が心に抱いているイメージに関心を寄せ、イメージを共有しようと心がけることは大切だと思います。意見に相違があった時、理詰めで論破しようとしたり、相手の言葉じりをとらえて反論したりしてもうまくいかないものです。

・言葉の向こうにある相手の心の中のイメージに、自分の心の目を向けるーそれが”心”を通わせる第一歩でしょう。

・夢に現れた事象を、公式のようにして何らかの意味・象徴として置き換えることはできませんが、無意識からのメッセージを意識してみると、自分の偏りや意外な側面に気づいたりして、生き方を考えたり変えたりするきっかけにもなると思います。

・夢に立ち現れるイメージとして、ユングが特に重要視したものの一つに「異性像」があります。男性であれば女性像(アニマ)、女性であれば男性像(アニムス)が心理的に大きな意味をもち、これは、私たちが社会に対して見せる顔「ペルソナ」と一対をなしていると著者は説明しています。

・つまり、ペルソナから閉め出されたものが「心」の性質となり、夢の中ではこれが異性像ーアニマ・アニムスとして現れるということです。

・アニマ・アニムスと社会的なペルソナのバランスは、周囲との人間関係に大きく影響します。

○内と外のバランスが取れていることが大事というのは、全ての事象において大事なことなのだと。ビジネスとプライベート、現実と夢想。

・夫婦や恋人同士の関係にも互いのアニマ・アニムスが顔を出し、「一組の男女の関係はアニマ・アニムスを入れて、四人の関係であるといいたいくらい」に複雑な様相を呈すると筆者は言います。

・ユングは、西洋の意識が外交的なのに対し、東洋の意識は内向的で、外界よりも”心の中の現実”に強い関心を向けていると指摘しています。また、西洋人が「心(mind)」という場合には、「意識」を考えるのに対し、東洋人は「無意識」をさしているのではないかともいっています。

・ユングは、意識の中心である「自我(ego)」に対し、無意識を含めた全体としての心の中心を「自己(self)」と呼んで区別していました。つまり、西洋では自我に、東洋では自己に心の中心点があるのではないかと考えていたのです。

・西洋人が無意識の世界から自我を切り離し自立せしめることに力をつくしたとするならば、東洋人は自分をいかに無意識の世界に埋めてゆくか、という点において優れていたように思われる。(略)西洋人はその心の領域を部分的にでも明確にし分化させてゆくのに対し、東洋人は、むしろ未分化であっても全体性のほうを強調しようとする。

・西洋では運命と戦うことに人生の意義を見出し、東洋では運命を味わうことに生き甲斐を感じているといえるだろう。

○文化の違い、考え方の違いを知った上で、いかに相手を思いやることができるか。

 

第3回 昔話と神話の深層

・民衆が語り継いできた昔話は、社会の公的な表舞台を裏から補償するものだと著者はいいます。ゆえに昔話の世界では、表舞台に立つ男性より、それを裏から営々と支えてきた女性のほうが躍動し、日本人の心の動きをありありと伝えてくれると考えたのです。

○女性のほうが強いから、それを文字通りの「力」で押さえつけてきたのが歴史。男女平等になればなるほど、弱い「男性」が際立ってきているのかも。それが平和なのだと思います。

 

第4回 「私」とは何か

・可能性があるからと気楽に構えて努力を怠ったり、逆に「努力あるのみ」とばかりに無用な苦行に身を投じたりするのは、どちらも賢明とはいえないということです。これは心理療法の心構えとしてだけでなく、私たちの生き方、物事にどう取り組むべきかを考える上でも大切なヒントになります。

○ここでも「バランス」。

・西洋で「私」という場合、それは私の「自我」とほぼ同義です。西洋の「私」は、他者とは明確に区別された、固定的なものとして捉えられています。一方、日本人にとっての「私」は、自他が浸透し合った、流動的なものではないかと著者は指摘します。

・個性は一定・不変ではありません。西洋ではこれを、自らの努力で形成しようとします。今の自分にないものや自分とは対立するものを取り入れ、統合して、豊かなものにしていくのが西洋でいうところの「個性化」です。しかし日本人の場合は、形成するというよりも「発見する」に近いといいます。

・西洋と日本とで「個性」の意味するものが異なることを明示するため、著者は西洋の個性を「個人性(individuality)」、仏教的な考えに強い影響を受けた日本のそれを「個別性(eachness)」と呼んで区別しています。「individual」は、これ以上分けることができないという意味で、一つの実態を指すのに対して、「each」は、個々の特徴や出来事であって、必ずしも実体ではないのです。

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