チャップリンとヒトラー

大野裕之

 

第1章 チャップリンの髭、ヒトラーの髭

・ある時代の大きな流れと、ある個人の破格の才能とが究極的に重なりあった現象が、チャップリンなり、ヒトラーなりの実態だったのでは。(中略)「メディア時代」に無限に増殖した、巨大なモンスターがチャップリンでありヒトラー。

・悲劇と喜劇が一つのドラマの表裏であることを見抜いていたチャップリンは、あえて戦争を題材にコメディを制作。

第2章 ヒトラーの台頭とチャップリン攻撃

・チャップリンは世界旅行中に「経済解決論」と題した経済論文を執筆。未完の原稿には、ヨーロッパ通貨統合の必要性を唱えてその通貨を「リーグ」と名付けている。

 

第3章 「チャップリンのナポレオン」

・ナポレオン映画化プロジェクト。(脚本において)ヨーロッパ統合を提唱。

○「リーグ」といい、天才は千里眼を持っているのでしょう。

 

第4章 「プロダクション#6」

・「リズム」と題した短編小説を通じて、チャップリンはファシズムの恐怖の本質とは、個々の政策の内容よりもむしろ、個人の思想信条はもちろん、個人が発する言葉の具体的な意味内容までも無にしてしまう「リズム」の存在であると看破。

・(「独裁者」本編ではカットされたシーンにおいて)ヒトラーはある業績や政策によって政権を取ったのではなく、人々を興奮状態に導く演説の巧みさによってのし上がったことを示唆。ファシズムの本質とは、個々の政策の邪悪さよりも、その祝祭性のこわさにあることをチャップリンは見抜いていた。

 

第5章 開戦、そして撮影開始

 

第6章 演説

・(演説のシーンのリハにて側近をスタジオから追い出した際)「君たち二人がそこにいては、上手くやれない。君たちの敵意が感じられるものでね」、と、たった一人で撮影に臨んだ。

 

第7章 完成 ー 作品分析、公開とその衝撃

・当時はデイル・カーネギーの「人を動かす」が出版された直後で、まだ対人関係の演出が政治やビジネスの世界に持ち込まれていなかったが、(独裁者二人の会談シーン)ではコミュニケーションまでマニュアル化される未来を予言。その手の啓発書があまり意味のないことも含めて。

・「私は今50才だ。自分の映画を好きなように作って、見せる、そういう独立性が得られないとすれば、今までの生涯、なんのために働いて、何のために成功してきたのか?」とあくまで戦い抜く姿勢を語る。

○同年令である私。比べるのもおこがましいですが、肝に銘じたい。

・「<笑い>こそが武器である」ことを当のナチスは脅威に感じていた。

 

第8章 「独裁者」というメディア

・ドキュメンタリー映画であれニュースであれ、キャメラが入って編集がなされる時点で「真実をありのままに捉える」ことは不可能で、その意味では劇映画と等価。(中略)映像は真実を簡単に偽装し得る。見ている人間の思考の方向を定めてしまう。

・世界中の人々がヒトラーを小男だと思い込んでいるのは、チャップリンのせいであり、「ヒトラーの身長は175センチ程度で決して小さくなく、晩年の体重は100キロを超えていた」という「真実」は、チャップリンの「イメージ=毒」が消してしまった。イメージは現実に勝利する。

・チャップリンの偉大な点は、単に権力を笑うだけではなく、デタラメ演説で通訳の存在を見せることで、映像には毒が含まれていることを暴露し、自ら立脚する映像そのものを笑い飛ばしたこと。

 

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