国家(下)
国家(下)
プラトン
第6巻
・哲学的素質とそうでないものの区別。狭量な精神は万有の全体、神的なものも人間的なものも、常に憧れ求めようとするほどの魂と正反対の性格のものはない。
・(大衆が呼ぶ)ソフィストたちは、「必要なもの」と「善いもの」とでは、その本性が真にどれほど異なっているかについて、自分で見極めたこともないし、他人にも教え示すことができない。
・思惟によって知られる世界において、<善>が「知るもの」と「知られるもの」に対して持つ関係は、見られる世界において、<太陽>が「見るもの」と「見られるもの」に対して持つ関係と同様。
第7巻
・教育とは、まさにその器官を転向させることがどうすれば一番易しく効果的に達成されるかを考える、向け変えの技術に他ならない。
○導管モデルから、対話モデルへ、に通じます。
・哲学に降りかかっている軽蔑は、その資格もないような人々が哲学に手を付けているから。
・自由な人間たる者は、およそいかなる学科を学ぶにあたっても。奴隷状態において学ぶというようなことはあってはならない。魂の場合は、無理に強いられた学習というものは何一つ魂の中に残りはしない。
第8巻
・文芸・音楽の教養(ムゥシケー)と練り合わされた理論的知性(ロゴス)だけが、一旦形成されると、一生その人の中に住み続けて、徳を救い守る力に。
・「不必要な欲望(調味されたおかず)」は消費的な欲望であり、「必要な欲望(パン)」は仕事のために有用だから生産的な欲望。
○足るを知る。
第9巻
・人間の最も基本的な分類として、「知を愛する人」「勝利を愛する人」「利得を愛する人」という3つの種類が。(中略)「経験」という条件に関しては、これらの人々のうちでは、知を愛する人が最も優れた判定者。その経験が思慮(知)によって裏付けられているのは知を愛する人だけ。
第10巻
・詩人が語るところの事柄から音楽という色彩がはぎとられて、内容それ自体として語られる場合、それは若盛りにあるが元々美しくはない人たちの顔のようなもの。花の盛りに見捨てられたとき、そうした顔がどのように見えてくるか、と同様。
○若い時分にこれに気づけているか否か。大人が教えてあげるべき。
・詩人は画家の片割れ。真理と比べれば低劣なものを作り出し、魂の低劣な部分と関係を持ち、最善の部分とは関係を持たない点においても。
○イデアから数えて三番目の「真似るもの」。
・もし快楽を目標とする詩(創作)すなわち真似の仕事が、良く治められた国家の中にそれが存在しなければならないという、何らかの論拠を提出することができるならば、喜んで帰国を受け入れる。
○訳者の解説にありましたが、詩の力を信じているからこその、プラトンの叫びなのでしょう。詩人と哲学者との相対。
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