【株式会社サンアルク】田嶋敏彦さん

板橋区の起業家インタビュー、第26回目は「株式会社サンアルク」の田嶋敏彦さんです。

第18回目の「城山幼稚園・城山みどり幼稚園」園長の石川明彦さんからのご紹介。城山先生から、「田嶋さんは、きちんとした経営哲学をお持ちの方です。良い話が聞けると思いますよ」という言葉にワクワクしながらインタビューに伺いました。

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-起業されて19年とのことですが、前職も電気関係だったんですね。

田嶋さん:はい。電気、空調設備工事をしていた会社に勤めていました。実家が静岡なんですが、実は父も電気工事業を営んでいたのもあって。それで、32才の時、そろそろ家業を継がないかという話が持ちあがりました。

-それで家業を継いだのですか。

田嶋さん:いえ、実は、私と父と母が相談したのですが、世間的にはちょっと考えられないでしょうが、私が田舎に帰って家業を継ぐのではなく、両親に上京してもらい、私の勤めている電気工事会社に父を迎え入れるというものでした。

田嶋さん:当時勤めていた会社の社長に大変な配慮をいただくことができました。父の経験と能力を高く買っていただき、工事部長という肩書で迎え入れてくれました。
-相当の決断だったのでしょうね。静岡の会社は畳まれたのですか。
田嶋さん:いえ、静岡の電気工事会社は、父と一緒に働いていた、私のいとこが引き継ぎました。

今ではそのいとこの息子さんが頑張って経営しています。静岡県の公共企業の仕事を中心にやっており、父のころより何倍も大きな会社になっています。
田嶋さん:今から考えれば、いくら息子の誘いとはいえ、静岡の田舎暮らしだけを50年以上続けてきた父が、住み慣れた親戚、知り合いの多い田舎を捨て、上京して仕事を始める、よくそんな話に乗ってくれたものだと思っています。
-お父さまと一緒に起業されたのですか。
田嶋さん:いえ、前職の時、両親が東京に出てきて13年ほど経った頃、父が肝臓がんで闘病生活も短く、あっという間に他界してしまいました。71歳でしたが、入院を余儀なくされるまで、現役で働いていました。
田嶋さん:私も、それから1年ほどは、そのまま会社勤めをしていました。ただ、何故か、父の死後、このままいち会社員として一生終わることでいいのか?という強迫観念に近い思いがふつふつと湧いてきたんです。上京時、55才を過ぎていた父が、田舎と家業を捨てて、母と一緒に右も左もわからない東京へ出てきてくれた。口には一切出さなかったけれど、本当は私に田舎に帰って、父の仕事を継いでほしかったのかもしれないと思ったんです。
田嶋さん:あの時父が東京行きを断れば、父とも離れ離れで暮らすことになるし、田舎に住む母も息子と一緒に暮らす可能性はなくなる、と分かっていたからこそ、父は東京行きを決意したのかもしれません。場所は違えど、東京で父の仕事を今からでも継ぐべきだという思いで起業しました。
田嶋さん:かなり恩義ある前職の社長に退職願を出し、この板橋の大山で起業を決意しました。善後策など全くない、たった一人での起業でした。

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-1人で起業され、今では14人を雇用されているのはすごいことだと思います。

田嶋さん:起業してから19年、本当にあっという間でした。サンアルクという今の会社には、私が以前勤めていた会社から、私を慕ってついてきてくれた者も何人かおります。今日の私があるのは、すべて、今いる14人の仲間のお陰です。彼らには本当に感謝しています。

田嶋さん:会社を経営していく上で自分が大切にしていることが「パートナーファースト」です。周りの者に助けられ今があると思っております。

田嶋さん:彼らにもいつも話していることがあります。それは「あなたたちは、私の部下ではなくパートナーだ。」ということです。彼らあってのサンアルクだと心からそう思っております。
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-2年ほど前にコロナで入院されたんですね。
田嶋さん:はい、コロナ肺炎と診断され、2カ月ほど病院とビジネスホテルで隔離生活を余儀なくされました。1度目の緊急事態宣言直後のことです。当時コロナは、エボラ出血熱のような扱いでした。私の移動はビニールに覆われた車椅子した。病院の方々は、防毒マスクのようなものをしていました。それを見るだけで自分はもう終わったな・・・。見たいに感じました。
―大変でしたね。その間、会社はどうだったんですか。
田嶋さん:私が入院中の間も、会社はなんの問題もなく動いておりました。「社長いらないんじゃない?」。そういう声が聞こえてきそうです。
-頼もしいですね。
田嶋さん:その時強く思ったのは、お客様はもちろん大切ですが、しかし今いるお客様が万が一すべてなくなってしまっても、「彼らがいればきっと何とかなる」、そう感じた瞬間でもありました。私一人の力は限りがありますが、しかし彼らと彼らの能力とが合わされば何でもできる、そんな気がしています。
田嶋さん:彼ら一人一人が責任をもって、他の仲間の為にもいい仕事をしようと考えていることが、結果としてお客様から信頼され愛される会社になっていくのだと思います。
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-人材育成についてどのようにお考えですか。
田嶋さん:誰だって失敗することはありますし、過ちを犯すこともあります。この私が、実は誰よりも失敗をしてきました。そんな私だからこそ、彼らが失敗してしまった時、誤った判断をした時
、彼らと向き合う時に、常に忘れないように心がけている言葉が2つあります。「自分の判断で人を裁かない。一つの失敗ですべてを否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない」、「過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ」。二つとも、若干29歳で夭折した若き天才「吉田松陰」さんの言葉です。どうすればこんな心境に達することができるのか。20代の若者が発した言葉とは思えないすごい含蓄のある言葉です。この言葉を胸に彼らと接することが、結果、人材育成になると思っています。

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-田嶋さんが思う「自律型人材」とはどのようなものでしょう。

田嶋さん:逆説的ではありますが、私は、実はすべての人がある意味で自律型人材だと思っています。性格的に積極的とか消極的とかはありますが、自律型人材なのか否か、という問いではその人物の評価を誤ってしまうことがあるかもしれません。「今の活動分野がその人にとって得意分野かどうか」ということが結果として自立型人間になれるかどうかの分かれ道になっているということなんだと思います。人は皆、それぞれの輝ける場所、「自律的に動ける場所」を見つけるということが、私たちに与えられた問題集なんだと思っています。

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対話型OJTを献本させていただきました。

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インタビュアーの林(ラーンフォレスト合同会社 代表社員)は、上記の「対話型OJT」をもとにした、新人の適応を促す「上手な仕事の教え方」を研修にてお伝えしています。
「人生は人を喜ばせたほうが勝ちというゲーム」だという田嶋さん。現在、電工職人さんの未来のために、ある仕掛けを構築中だそうです。「仲間が少しでも楽になれるように」と、インタビューの合間に、たくさんのアイデアをお聞かせいただきました。私も微力ながらもお手伝いできれば、と思っております。
田嶋さん、どうもありがとうございました!

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