インプロ教育の探求

インプロ教育の探求

高尾隆/園部友里恵 編著

第1章 インプロは教育できるのか

・情動と理性は強調して働いている時には、右脳と左脳は両方とも働いているし、精神と身体もダマシオのように、デカルト的心身二元論でなく、スピノザ的心身一元論に立て場、両方とも働いている。

・ダマシオは、外部(環境・他者)からの刺激は、まず身体に情動的反応を引き起こし、脳が身体の各所に起こる変化をモニタリングし、それを統合する形で感情を作り出す、という順序が正しいという。W・ジェイムズは「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのである」と表現。

第2章 すでに学んでしまっている

・子どもたちは「大人から要求された人格を演じること」で、身の安全を守っている。人は人からどのようにみなされ、関わられるのかのコミュニケーション環境のよって、スポンタナエティ(自発性)を抑圧したり開放したりする。

・スポンタナエティを抑圧する文化装置としての「教育」に対する反作用という仕方で、ジョンストンのインプロ教育理論が作られた。

・スポンティニアスであることが自然な在り方であり、それを抑圧する状態の方が不自然な状態であると想定。「もっと頑張ろうとする」「計画する」「言語的に思考する」などの抑圧のテクニックにエラーを引き起こすことがスポンタナエティを開放する戦略として採用。

・事故のあり方は複数存在、社会的な制度からの期待に応えるための防衛的な自己と、「本当の自己」であるスポンテイニアスな自己。

第3章 楽しむ中で「自分」になる

・(鬼ごっこなど)子供の頃の遊びに全力を尽くしている状態が、知性と身体と直観が統合された有機的な状態の例。頭の中で「鬼ごっこにどんな意味があるのか」と問うのではなく、身体の動かし方を考えるのでもなく、自分の全身が一つになっているような感覚。

・知性の働きをなるべく参加者から遠ざける「サイドコーチング」。

第4章 即興演劇における仮面とトランス

・仮面の指導者はハーフマスクを指導するとき、ステータスを高くし威厳を持った雰囲気で振る舞う(厳格な大人を演じる)。(中略)主導権が仮面をかぶった俳優にないので、トランスをしているときに行ったことの責任を俳優は問われない。

〇心理的安全性でしょうか。

第5章 教師が「学習者になる」とはどういうことか

・インプロで「演じる」ということの考え方の三つ、「トゥルースフル(truthful)」「ビーイング・ゼア(being there)」「トランス(trance)。俳優がスポンテイニアスに行動することにより「軽いトランス状態」に。

・インプロが教えてくれるのは、自分の頭でコントロールしようとするのを手放すこと、そのためにそこで行われている一つ一つに身を任せることの大切さ。学習者役は、「学習者になる」ことに近づけるかもしれない。

・「学習者になれない」、「教師である自分」と「本物の子ども」とは違う存在だと、教師の仕事を続けることで遠ざかっていってしまう子どもたちとの感覚の違いに気づく体験こそが、「偏見はなかったのか」という問い直しを生み出す。

第6章 学校教育におけるインプロの教育的意味

・「ごっこ遊び」とは、一見すると矛盾する意味・メッセージを同時に引き受けながら、二重性の世界を同時に生きることによって成立する営み。

・インプロとごっこ遊びには「二重性の世界を同時に生きることを通して、飛躍を伴いながら複数の可能性に開かれた意味の生成・プロセスが存在する」という点で、同様の構造が存在している。

・インプロを1年間実践した女子からもらった手紙の一文、「インプロは『?』で、できていると思います!!」。

〇?を許容する柔軟さが大人にも必要だと思います。良い言葉。

第7章 小学校におけるインプロ実践の方法とその意味

・「利他」は「人が生まれながらに持った能力」。マイケル・トマセロ曰く、「人間のコミュニケーションは根本的に協力的な営み」であり、協力的コミュニケーションは「ほぼ確実に相利共生的活動の中で始まった」。

・「二つの点」や「ワンワード」で作った物語は、利他的な「出来事」。私とあなたが混ざり合った「わたしたち」が生まれており、ここでいう利他は、利己の対義語ではなく、利己も含めた「利他」。

・ジョンストンのインプロの活動の中で失敗することは意図的に仕組まれた体験。失敗をポジティブなものとして扱い、新しいことを学ぶためには失敗が必要不可欠なもの。

第8章 小・中学校における外部講師としてのガイディッド・インプロビゼーションの実践

第9章 高校生が即興的に役を演じることの意味

・スタニスラフスキーは、晩年、一度開発した方法に固執せず、彼の目指す演技になるためのより良い方法、「身体的行動の方法」を模索。その特徴は、即興的に演じることで、役を作っていく方法。

・(高校生が演じてみての感想で)実人生で経験したことがなくても、授業の演じる場で即興的に演じることは、自分のためになり、自分の中の幅が増えた、仮にでも自分の経験として感じた。

第10章 理学療法士のコミュニケーションとインプロ

第11章 保育者養成校におけるインプロ教育

・演劇というものは「ごっこ遊び」。子どものごっこ遊びからプロの役者の芝居までが一続き。

〇いい大人が真剣にごっこ遊びをやるからこそ、ドラマや映画に心を揺り動かされますね。

第12章 子どもと保護者が集うインプロの習い事

・何か新しく挑戦をする場面で本人に恐れが見える時は、安心して挑戦できるように、スタッフがリスクを請け負っていくこと(依頼の体で)が大事。

第13章 コロナ禍に生まれたオンラインインプロワークショップの軌跡

・ジョンストンのインプロの基本的な思想は「大人は委縮した子ども」であり、子どもは本来物語を語ることができるが、大人になるにつれて評価や変化を恐れるようになり、物語を語れなくなるということに。

〇解放するためには「心理的安全性」が重要。エイミー・エドモンドソン教授もインプロは効果的だと言っています。

第14章 お笑い芸人である私とインプロ

・インプロではなるべく「ビー・オリジナル(be original)」な状態を減らし、「ビー・アベレージ(be average)な状態を増やすというトレーニングをする。「ビーオリジナル」とは「独創的」になろうとし過ぎることで、結果みんなと同じようになってしまう」というインプロの言葉。「ビー・アベレージ」は「普段のままの自分でいようとすることで、創造力を発揮することができる」という意味。

おわりに - 学校教育とインプロの二項対立

各章に見られる二項対立

【第5章】考えてから演じるのか、演じてから考えるのか。考えながら動くという乗り越え方もあるが、あえてこの二項対立を解消せず、演じてから考えるという立場を選び、現職教員院生に、過去の現場経験から頭で考えることをやめ、今ここで起こっていることに身を委ねるように促す。

【第9章】演じることがあくまで他者になることであり、自分に触れることを強制されないからこそ。かえって自然に自分と向かい合えるという逆説。

【第13章】インプロは、困難を解決しようと新しいことを発送する人間の問題解決能力によって発展してきたとも言える。

毒でも薬でもあるパルコマン

・インプロは学校教育にとってパルコマン的。

パルコマンとしてのインプロ

・二項対立的に捉えてきた学校教育とインプロだが、根源的には双方とも人間の成長と学びを願うものであり、同根でもあると言える。

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